アメリカにおける行動主義の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 06:16 UTC 版)
「心理学の歴史」の記事における「アメリカにおける行動主義の登場」の解説
詳細は「行動主義」を参照 20世紀初期の数多くの出来事が結合した結果、アメリカ心理学の支配的な学派として行動主義が徐々に姿を現した。それはまず、多くの人が意識という概念を懐疑的にみるようになっていくという形で現れた: 心理学を生理学から分けるうえでなお本質的な要素とはみなされていたものの、意識の主観的な実体とそれが要求する信用しがたい内観的な方法は多くの問題を引き起こした。1904年の『ジャーナル・オヴ・フィロソフィー...』のウィリアム・ジェームズによる記事「意識は存在するのか?」はこの懸念をはっきりと表していた。 第二には、厳密な動物心理学が徐々に興隆しつつあった。1898年のエドワード・リー・ソーンダイクのパズル・ボックスに入れられたネコの研究に加えて、ラットが迷路を取りぬける実験がウィラード・スタントン・スモールによって始められた。1905年の『ジャーナル・オヴ・フィロソフィー...』に掲載されたロバート・マーンズ・ヤーキーズの「動物心理学と心の判断基準」によって、どういうときにある生命体に意識があると言えるのかという一般的な問題が浮かび上がってきた。続く数年間にはジョン・ブローダス・ワトソン(1878年–1959年)が神経学的発育と白いラットの学習能力との間の関係に関する論文を発表し、大きな役割を果たすようになった。もう一つのラットを用いた重要な研究がヘンリー・H・ドナルドソンにより発表された。1909年には、イヴァン・パヴロフによるイヌの条件付けの研究が初めて英語で説明された。 第三の要因はワトソンが心理学界で大きな力を持つ位置を占めるようになったことである。1908年に、ワトソンがジェームズ・マーク・ボールドウィンによってジョンズ・ホプキンスに招聘されて下位の教職に就いた。ジョンズ・ホプキンスの学部長であったのに加えて、ボールドウィンは影響力の高い雑誌『サイコロジカル・レビュー』および『サイコロジカル・ブリッティン』の編集者を務めていた。わずか数ケ月後にはワトソンのライヴァルのボールドウィンはスキャンダルによって教授職辞職に追い込まれた。ワトソンは突然学部長および二誌の編集者の地位に就いた。彼はこれらの強力な地位を有効に使って自身の研究の印象における心理学に革命をもたらすことを決断した。1913年の『サイコロジカル・レヴュー』に彼はしばしば行動主義運動の「マニフェスト」と呼ばれる記事「行動主義者が見る限りでの心理学」を掲載した。そこで彼は、心理学とは「自然科学の純粋に客観的・実験的領域である」、「内観的形式は心理学の方法の本質的部分ではない[...]」、「行動主義者は[...]ヒトと野獣の間の境目を認識しない」などと主張した。翌年1914年に彼の最初の教科書『行動』が出版された。行動主義が包括的なアプローチとして認められるまでにはなお時間がかかったものの(第一次世界大戦による妨害も少なからずあり)、1920年ごろまでにワトソンの革命は軌道に乗った。初期の行動主義の中心的教説は、心理学は心ではなく行動の科学であるべきだというもので、信念・欲望・目標といった内的精神状態は否定された。しかしワトソン自身は1920年にスキャンダルによりジョンズ・ホプキンス大学退職を余儀なくされた。彼は1920年代には著述の公開を続けたものの、行動主義の宣伝塔としての役割にシフトしていった。 活動を続けた行動主義者の中でも、続行させるための最善の方法に関しては数多くの異論が起こった。エドワード・チェイス・トールマン、エドウィン・レイ・ガスリー、クラーク・レナード・ハル、バラス・フレデリック・スキナーといった新行動主義者達は、(1)伝統的な心理学的概念を行動主義的術語へと再定義するかそれらを放棄して全く新しい枠組みを選ぶか、(2)学習は一度にすべて起こってしまうのか徐々に起こるのか、(3)行動の「動機づけ」を与えるために生物学的動因を新たな科学に含めるか否か、(4)どの程度まで「全ての」理論的枠組みは学習の報酬と罰の計測効果を超えて要求されるのか、といった問題について議論した。1950年代後半までに、スキナーの定式化が支配的となり、行動分析の名の下に現代心理学の一部として存続している。 行動主義は20世紀の長い期間、心理学研究における優勢な実験モデルであったが、これは人間の行動の科学的モデルとしての条件づけ理論の(少なくとも宣伝の上では)創造的で成功した応用であったことによる。
※この「アメリカにおける行動主義の登場」の解説は、「心理学の歴史」の解説の一部です。
「アメリカにおける行動主義の登場」を含む「心理学の歴史」の記事については、「心理学の歴史」の概要を参照ください。
- アメリカにおける行動主義の登場のページへのリンク