オランダによる運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:04 UTC 版)
「F2A (航空機)」の記事における「オランダによる運用」の解説
オランダは1940年にF2A-2を“B-339C”および“B-339D”の名称で発注した。発注された144機のうち、71機が1941年4月から10月にかけてオランダ領東インドの航空基地に到着した。1941年2月にはF2A-3相当の機体である“B-439(B-339-23)”も発注されたが開戦には間に合わず、更に開戦によりオランダ東インド軍への引き渡しが不可能になったため、第一期発注分のうち最後の機体であるB-339 72番機と共に、飛行試験後にオーストラリア軍に引き渡されて使用された。引き渡される途中のフェリー中の機体は、英軍に臨時編入されてシンガポールで日本軍との戦闘に投入されている。 オランダ向けのB-339は、やはりアメリカにおいて搭載エンジンの需要が逼迫していたことからオリジナルよりも性能の劣るエンジンを搭載せざるを得ず、運動性の確保のために翼内機銃を降ろし、更に機首機銃を7.62mm機銃2基に変更して運用されていたため、日本軍機との戦闘に際して火力不足に悩むことになった。開戦時にオランダ東インド軍航空隊において稼働状態にあった63機のうち、24機が空中戦で失われ、16機が地上で破壊された。 オランダ東インド軍の降伏後、一部の機体とパイロットは日本軍に降伏せず、オセアニア方面に避退し、英連邦軍に合流した。これらの機体とパイロットは英連邦軍の所属部隊として再編成されて英軍の指揮下で戦闘を継続した他、機体の一部はオーストラリア/ニュージランド空軍に使用されている(前述「#イギリス及び英連邦諸国における運用」参照)。 オランダ領東インドに配備されたオランダ東インド軍の機体は、イギリス軍と同じく司令部が日本軍機の性能を実際より低く見ていたことや、レーダー探知と連動した航空管制の欠如から連携の取れた組織的な部隊運用ができず、日本軍機を相手に大きな損害を出した。イギリス軍機同様、現地では翼内機銃や弾薬、翼内タンクの燃料を減らすなどして軽量化する努力が払われたが、大した効果がなく、武装を減らしたために攻撃力が低下し、総合的な戦闘能力が低下しただけであった。オランダではB-339を急降下爆撃機としても使用したが、東インド軍部隊が全体として劣勢であったこともあり、目立った成果は挙げていない。
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