オランダのSS
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/19 05:32 UTC 版)
「ヘンク・フェルトマイヤー」の記事における「オランダのSS」の解説
1940年9月11日、ネーデルラントSS(英語版)が設立された。フェルトマイヤーはこのネーデルラントSSの設立と指揮に大きく貢献した 。一方ミュッセルト自身はオランダ国内でのSSの設立に反対していたが、ドイツ本土からの圧力によりこれを容認せざるを得なかった。1942年1月にゲルマンSSとして統合されるまでの間に、ネーデルラントSSは最大で4000人規模の組織にまで膨れ上がっていた。このネーデルラントSSには2つの側面があった。一つはNSBの下部組織であるという点、そしてもう一つはナチス親衛隊の下部組織であるという点である。表面上の責任者は母体組織であるNSBのトップたるミュッセルトだったが、実質的にはフェルトマイヤーと強力なパイプを持つヒムラー、そしてオランダの最高指導者となったラウターだった。 フェルトマイヤーは、ドイツの欧州征服活動に積極的に貢献するようメンバーを刺激し、彼自身も自ら最前線に参加した。 1941年4月から5月にかけて、第1SS装甲師団の砲手としてユーゴスラビア侵攻およびバルカン半島の戦いに参加。また1942年6月には、第5SS装甲師団の高射砲指揮官として東部戦線に参加した。 1943年3月、アルゲマイネ SSで大佐に昇進。また1944年3月には士官としての教育課程を修了し、武装親衛隊大尉に昇進した。二級鉄十字章、一般突撃章および戦傷章黒章を受賞。
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