イギリス古典派経済学の受容と反発
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「歴史学派」の記事における「イギリス古典派経済学の受容と反発」の解説
ドイツにおいては従来、政治経済の広範な領域を探究する「官房学」という独自の学問が発達していた。その後フランス革命やナポレオン戦争の影響を受け、プロイセンを始めとする諸領邦国家において啓蒙主義に影響された開明的官僚層による自由主義的改革が進められると、当時の経済(学)先進国であったイギリスから古典派経済学が輸入され、これと従来の官房学が融合して「ドイツ古典派」と称される学派が成立した。 しかし19世紀前半になると、古典派経済学(およびそれに基づく経済政策)が果たしてドイツの国情に合致するのか疑問が投げかけられるようになった。すなわち、古典派経済学の自由貿易主義(および国際分業論)は結局のところ工業先進国のエゴイズムを体現した理論であり、ドイツのような後進国においては自由貿易が国力を減退させる結果を生むことが判明するにつれ、出来あいの経済政策ではなく、自国の実情に即した独自の政策体系を求める声が高まっていったのである。 この結果、経済学においても、各国の独自性を規定する歴史へと関心が向けられ、理論と現実、理論と歴史との関連が問題化されることとなった。すなわち、古典派のように利己心を行為動機とする個人から構成された競争的市場社会を想定して一般的経済法則の解明に向かうのではなく、行為者を社会組織に帰属し共同意識を有する存在と見なし、またその動機も利己心ではなく法・慣習・モラル・宗教などの文化的・倫理的・制度的要因に強く規定されていることを踏まえ、各国別の国民経済を単位に一つの有機体として形成された経済社会の段階的・歴史的進化を理論面・実証面で解明しようとする方向に進んだ。例えば前記のA・ミュラーは、スミス経済学に見られる利己的な人間観や原子論的な社会観を批判し、有機体的な国民経済論を対置している。
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