イギリス啓蒙思想を描く
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 14:46 UTC 版)
「ジョセフ・ライト (画家)」の記事における「イギリス啓蒙思想を描く」の解説
ライトはイングランド中部地方の先進的な工業家たちと親密な関係を持っていた。最も重要な後援者(パトロン)として、磁器の製造を工業化したとされるジョサイア・ウェッジウッド、紡績の工場システムを考案したとされるリチャード・アークライトの2名が挙げられる。ライトの弟子の一人ウィリアム・テート(英語版)は、奇人で知られた慈善事業家にして採掘事業者ジョセフ・ウィラムソン(英語版)のおじにあたり、ライトの死後、その作品のいくつかを完成させた。ライトはまたエラズマス・ダーウィンや、一流の工業家、科学者、哲学者たちが集うルナー・ソサエティの他の会員たちと交友があった。その会合はバーミンガムで開かれたが、チャールズ・ダーウィンの祖父であるエラズマス・ダーウィンはダービー在住だった。影にかかる見事な光の表現で知られるジョセフ・ライトの作品のいくつかは、ルナー・ソサエティの会合に触発されたものだった。 『空気ポンプの実験』では、空気の性質とそれが生命維持に果たす役割に関する初期の実験を、人々が取り囲み観察する様子が示されている。 『賢者の石を探す錬金術師』は、ドイツの錬金術師ヘニッヒ・ブラントによって1669年にリンが発見された様子を描いている。大量の尿を煮詰めているフラスコで、尿中に豊富に含まれる燐が空中で自然発火し、勢いよく光を発している。 『太陽系儀の講義』は太陽周囲の惑星運行を実演する初期の機械装置を示している。スコットランドの科学者ジェイムズ・ファーガソン(英語版)は1762年7月にダービーで数度にわたる講義を受け持った。それは1760年に出版された彼の著書『力学、流体静力学、空気力学、工学、その他から選んだ主題に関する講義』に基づいたものだった。講義内容を視覚化するため、彼は様々な機械、模型、道具を使用した。ライトはファーガソンの講義に参加した可能性が高い。なぜなら親しい隣人だった時計職人かつ科学者のジョン・ホワイトハーストから講義のチケットを入手できたであろうからだ。ライトは太陽系儀とその操作についてより良く知るため、ファーガソンの実践的な知識を欲していたであろう。 史実に基づいたこれらの絵には、メタファーも託されていると考えられる。例えば、祈る人物の前で激しく燐光が発する様子は、信仰から科学的理解と啓蒙へという、容易ならざる変転を表している。また人々が空気ポンプ中の鳥を囲んで様々な表情を浮かべる様子は、来たる科学の時代が起こしうる残酷さを表している。これらの絵画は、西洋における宗教の力を理解し始めた、科学的研究のハイライトを表している。十年ほど後に啓蒙思想の頂点であるフランス革命の反動の中、科学者たちは自分たちが迫害されていることに気が付いた。ルナー・ソサエティの会員だったジョゼフ・プリーストリーは、フランス革命の支持を公言したことに反発した群衆によって、1791年のバーミンガム暴動で実験室を粉砕され家も燃やされ、1794年にはイギリスを離れた。フランスでは化学者のアントワーヌ・ラヴォアジエが恐怖政治の只中でギロチンにかけられた。政治家にして哲学者のエドマンド・バークはその著書『フランス革命の省察』(1790年)で知られるが、プリーストリーをはじめとする自然哲学者たちをフランス革命と結び付けた。のちに彼は『Letter to a Noble Lord』(1796年)で、イギリスの科学を支えた革命家たちは「実験で人間を扱うところ、空気ポンプのネズミと何ら変わらないと考えていた」と記した。この論評に照らせば、空気ポンプの鳥を描いたライトの絵は、20年以上前に完成していたにも関わらず、実に予見的だったと言える。 こうした背景の元、ダービー出身でルナー・ソサエティ会員だったエラズマス・ダーウィンの孫、チャールズ・ダーウィンは、半世紀後の1859年に『種の起源』を出版することで、科学と宗教的信念の間の相克を深めることになった。
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