唯一のヨーロッパの貿易国オランダ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/21 08:36 UTC 版)
「オランダ風説書」の記事における「唯一のヨーロッパの貿易国オランダ」の解説
1600年、イギリス人のウィリアム・アダムスとオランダ人のヤン・ヨーステンが来日し、徳川家康と面会(リーフデ号事件)。これが契機となって、イギリスとオランダの2国との貿易が開始された(イギリスは1613年、オランダは1609年)。 1612年、幕府は人民統制のため禁教令を出す。また、貿易統制のため1616年には貿易地を平戸、長崎に限定した。しかし、1624年アジア地域におけるオランダとの貿易競争に敗れたイギリスが平戸から商館を引き上げ撤退。1625年にはキリスト教布教国として、また、それによって自国が侵略される恐れがあるとしてスペイン船の来航を禁止した。1639年ポルトガル船の来航も禁止され、鎖国は実質的な完成を遂げた。そんな中、唯一のヨーロッパの貿易国として生き残ったのがオランダであった。
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