藤堂 高虎とは? わかりやすく解説

とうどう‐たかとら〔トウダウ‐〕【藤堂高虎】

読み方:とうどうたかとら

[1556~1630]安土桃山時代江戸初期武将近江(おうみ)の人。浅井長政羽柴秀長豊臣秀吉らに仕えた関ヶ原の戦い大坂の陣では徳川家康属し、その功により伊勢伊賀など32万石封ぜられた。


藤堂高虎

作者大栗丹後

収載図書戦国武将まんだら秘本三十六人
出版社春陽堂書店
刊行年月1999.8
シリーズ名春陽文庫


藤堂高虎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/25 08:01 UTC 版)

藤堂 高虎(とうどう たかとら)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将大名伊予今治藩主、後に伊勢津藩の初代藩主となる。津藩藤堂家(藤堂家宗家)初代。


注釈

  1. ^ 寒松院は公園隣接地に移転したが、墓所は動物園内に残る(関係者のみ立ち入り可能)。
  2. ^ 数々の築城は大坂城豊臣秀頼と西国の豊臣恩顧大名に対する包囲網を築くためとしている。また、高虎の伊勢転封と筒井定次の改易、脇坂安治の淡路洲本藩から伊予大洲藩への転封もこの政策の一環としている[47]

出典

  1. ^ a b c 福井 2016, p. 6.
  2. ^ a b c d e 福井 2016, p. 189.
  3. ^ 渡辺了長男
  4. ^ a b 福井 2016, p. 2.
  5. ^ 藤田 2006, p. 10.
  6. ^ 榎原雅治「藤堂家始祖『三河守景盛』の素顔」『歴史書通信』196号、2011年。
  7. ^ a b 藤田 2018, p. 48.
  8. ^ 藤田 2006, p. 26.
  9. ^ a b c 福井 2016, p. 8.
  10. ^ a b 藤田 2006, p. 29.
  11. ^ a b 藤田 2018, p. 49.
  12. ^ 『親筆留書』『公室年譜略』
  13. ^ 福井p.10-11
  14. ^ a b 福井 2016, p. 11.
  15. ^ a b c 福井 2016, p. 13.
  16. ^ 養父郡郷士。
  17. ^ 塩冶高清を指すかは不詳。
  18. ^ 西尾孝昌『秀吉の但馬平定と大屋』
  19. ^ 『公室年譜略』、摂津野口城攻めの記述もあり。
  20. ^ 藤田 2006, p. 35.
  21. ^ 福井 2016, p. 14.
  22. ^ 『公室年譜略』
  23. ^ 福井 2016, p. 17.
  24. ^ a b c 桜木謙堂『高山公』P18
  25. ^ a b 福井 2016, p. 35.
  26. ^ a b c 福井 2016, p. 41.
  27. ^ 『高山公実録』
  28. ^ 『新七郎家乗』
  29. ^ 『日本城郭大系』第10巻(新人物往来社、1980年)P187-188
  30. ^ 三重県高等学校日本史研究会編『三重県の歴史散歩』(山川出版社、2007年)P271
  31. ^ 福井 2016, p. 43.
  32. ^ 福井 2016, p. 49.
  33. ^ 桜木『高山公』P23
  34. ^ 桜木『高山公』P31に引く6月23日付けの秀吉朱印状による。尚、桜木は6月26日付けで海船総督に任じられ、幔幕と軍艦を下賜されたとする。桜木『高山公』P32には、斎藤拙堂の書を引いて日本丸を与えられたのも加増時だとしている。
  35. ^ 桜木『高山公』P35。この頃から高虎は儒者の三宅亡羊に資治通鑑を講義させており、中国の歴史に感激していたという。桜木は、高虎は趙普のようだと述べている。
  36. ^ a b 福井 2016, p. 67.
  37. ^ 白峰旬「藤堂高虎は関ヶ原で大谷吉継と戦った―『藤堂家覚書』の記載検討を中心に―」『十六世紀史論叢』9号、2018年。
  38. ^ 藤田 2018, p. 55.
  39. ^ a b c 藤田 2018, p. 56.
  40. ^ 藤田 2018, p. 60.
  41. ^ 福井 2016, p. 188.
  42. ^ 福井 2016, p. 9.
  43. ^ 藤田 2006, p. 28.
  44. ^ 福井 2016, p. 137.
  45. ^ 藤田 2006, p. 17.
  46. ^ 藤田 2006, p. 18.
  47. ^ 藤田 2006, pp. 86–102.
  48. ^ 藤堂藩家老の中川蔵人の日記には「餅を土産として渡された」とある。
  49. ^ 西田久光『出世の白餅考』
  50. ^ 『公室年譜略』寛永5年正月廿七日や同年9月15日など。
  51. ^ a b 藤田 2006, p. 30.
  52. ^ 藤田 2016, p. 32.
  53. ^ 『名将言行録』
  54. ^ 『武家盛衰記』
  55. ^ 福井p.165
  56. ^ 藤田 2006, p. 13.
  57. ^ 福井 2016, p. 57.
  58. ^ 今治p.24,26
  59. ^ a b 福井 2016, p. 173.
  60. ^ 福井 2016, p. 174.
  61. ^ 藤田 2006, p. 16.
  62. ^ a b c 福井 2016, p. 150.
  63. ^ 山鹿素行武家事紀
  64. ^ 『武将感状記』
  65. ^ 古賀桐庵『良将達徳鎖』
  66. ^ 福井 2016, p. 151.
  67. ^ 尾下成敏「蒲生氏と徳川政権」(初出:日野町史編さん委員会編『近江日野の歴史』第二巻 中世編 第四章第三節、2009年/所収:谷徹也 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第九巻 蒲生氏郷』(戒光祥出版、2021年)ISBN 978-4-86403-369-5)2021年、P236-237・261.


「藤堂高虎」の続きの解説一覧

藤堂高虎

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決戦III」の記事における「藤堂高虎」の解説

浅井家家臣で「小谷城攻略戦」にて登場撃破すれば織田家に仕官する。史実では浅井長政信長をはじめ7人主君仕え伊勢津藩初代藩主となった主な兵種は弓騎馬武将系統は「知将」。

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藤堂高虎

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殿といっしょ」の記事における「藤堂高虎」の解説

同じく8巻唐突に登場した浅井武将姉川の戦いは織田軍から人間とすら思われていなかったほどの巨体であり、非常に無口。餅が好物であり、城下町うろついていた所で員昌から餅を貰いそのまま着いて来たその場居合わせたの中で「もっとも出世しそうなもの」を見つけ力に長けており、隙あらば「もっとも出世しそうな」人物着いて行ってしまう

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藤堂高虎(とうどう たかとら)

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センゴク」の記事における「藤堂高虎(とうどう たかとら)」の解説

通称は与右衛門幼名与吉当初は浅井家臣・阿閉貞征仕えており、浅井軍の中で数々の軍功挙げた武将没落した家名再興志しており上昇志向が強い。権兵衛以上の巨躯誇り知恵も回るが、当初は尊大で小難しい性格しており人当たり良くなかった権兵衛からは「虎吉」と呼ばれ羽柴軍の足軽にはその巨躯から「熊」に喩えられる。

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藤堂高虎(竜頭戦闘船)

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婆裟羅2」の記事における「藤堂高虎(竜頭戦闘船)」の解説

26歳姉川の戦いにて浅井長政に従って参戦し敗戦経験その後、主を変えながら北は奥羽、南は琉球諸国放浪し見聞広め水軍術を体得21歳時に秀吉の弟の秀長人柄に惚れ込み出仕秀長に従って各地転戦しながら築城術政治学など多く学んだ前作でもボスとして登場し本作ではその時に乗っていた船の劣化版に乗って戦う。放浪中に知り合い意気投合した池田輝政とは「山賊」、「海賊」と呼び合う仲。

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藤堂高虎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 21:07 UTC 版)

戦国無双シリーズ」の記事における「藤堂高虎」の解説

ねねのコレクション武将一人

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藤堂高虎

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関ヶ原 (小説)」の記事における「藤堂高虎」の解説

伊予国領地を持つ大名元は秀吉の弟の秀長仕える身であったが、優れた武略秀吉買われ大名に取立てられた。しかし半生間に六度主君変えた男で、秀吉によって引き立てられた身でありながら早々に豊臣家行く末見限り家康接近した露骨な媚態見せて太鼓持ちのようにへり下りさながら家康走狗となって諜報活動調略工作従事した

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藤堂高虎

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城塞 (小説)」の記事における「藤堂高虎」の解説

伊予国を治める大名保身術に長けており、秀吉によって大名に取立てられながら秀吉死の直前から早くも豊臣家行く末見限って家康近づき以後家康の手となったかのように率先して豊臣家切り崩し策動加担した

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藤堂高虎

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とっぴんぱらりの風太郎」の記事における「藤堂高虎」の解説

四年前伊予から国替え伊賀上野城主になった築城名手として有名である現在では数少なくなった忍びを使う大名

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