藤堂高虎 藤堂高虎の概要

藤堂高虎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/03 20:32 UTC 版)

 
藤堂 高虎
個人蔵
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 弘治2年1月6日1556年2月16日[1]
死没 寛永7年10月5日1630年11月9日[2]
改名 与吉(幼名)、高虎
別名 与右衛門(通称
戒名 寒松院殿道賢高山権大僧都[2]
墓所

東京都台東区上野恩賜公園内の寒松院[注 1]

三重県津市の寒松院

三重県伊賀市の上行寺
官位 従四位下左近衛権少将佐渡守和泉守、贈従三位
幕府 江戸幕府
主君 浅井長政阿閉貞征磯野員昌津田信澄豊臣秀長秀保秀吉秀頼徳川家康秀忠家光
伊予今治藩主→伊勢津藩
氏族 藤堂氏
父母 父:藤堂虎高、母:藤堂忠高の娘
兄弟 鈴木弥右衛門室、高則高虎、華徳院(山岡直則室のち渡辺守[3]室)、高清、正高、藤堂高経室
正室:一色義直の娘・久芳院
継室:長連久の娘・松寿院
高次高重蒲生忠郷正室、藤堂忠季室、高吉藤堂高刑岡部宣勝正室前野小助
小堀政一正室生駒正俊正室
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津城址にある藤堂高虎像

藤堂高虎は、黒田孝高加藤清正と並び、「築城三名人[4]」の一人と称される。数多くの築城の縄張りを担当し、層塔式天守を考案。高石垣の技術をはじめ、石垣上には多聞櫓を巡らす築城の巧みさは、その第一人者といっても過言ではない[4]。また外様大名でありながら徳川家康の側近として幕閣にも匹敵する実力を持つ、異能の武将であったといえる[5]


注釈

  1. ^ 寒松院は公園隣接地に移転したが、墓所は動物園内に残る(関係者のみ立ち入り可能)。
  2. ^ 数々の築城は大坂城豊臣秀頼と西国の豊臣恩顧大名に対する包囲網を築くためとしている。また、高虎の伊勢転封と筒井定次の改易、脇坂安治の淡路洲本藩から伊予大洲藩への転封もこの政策の一環としている[47]

出典

  1. ^ a b c 福井 2016, p. 6.
  2. ^ a b c d e 福井 2016, p. 189.
  3. ^ 渡辺了長男
  4. ^ a b 福井 2016, p. 2.
  5. ^ 藤田 2006, p. 10.
  6. ^ 榎原雅治「藤堂家始祖『三河守景盛』の素顔」『歴史書通信』196号、2011年。 
  7. ^ a b 藤田 2018, p. 48.
  8. ^ 藤田 2006, p. 26.
  9. ^ a b c 福井 2016, p. 8.
  10. ^ a b 藤田 2006, p. 29.
  11. ^ a b 藤田 2018, p. 49.
  12. ^ 『親筆留書』『公室年譜略』
  13. ^ 福井p.10-11
  14. ^ a b 福井 2016, p. 11.
  15. ^ a b c 福井 2016, p. 13.
  16. ^ 養父郡郷士。
  17. ^ 塩冶高清を指すかは不詳。
  18. ^ 西尾孝昌『秀吉の但馬平定と大屋』
  19. ^ 『公室年譜略』、摂津野口城攻めの記述もあり。
  20. ^ 藤田 2006, p. 35.
  21. ^ 福井 2016, p. 14.
  22. ^ 『公室年譜略』
  23. ^ 福井 2016, p. 17.
  24. ^ a b c 桜木謙堂『高山公』P18
  25. ^ a b 福井 2016, p. 35.
  26. ^ a b c 福井 2016, p. 41.
  27. ^ 『高山公実録』
  28. ^ 『新七郎家乗』
  29. ^ 『日本城郭大系』第10巻(新人物往来社、1980年)P187-188
  30. ^ 三重県高等学校日本史研究会編『三重県の歴史散歩』(山川出版社、2007年)P271
  31. ^ 福井 2016, p. 43.
  32. ^ 福井 2016, p. 49.
  33. ^ 桜木『高山公』P23
  34. ^ 桜木『高山公』P31に引く6月23日付けの秀吉朱印状による。尚、桜木は6月26日付けで海船総督に任じられ、幔幕と軍艦を下賜されたとする。桜木『高山公』P32には、斎藤拙堂の書を引いて日本丸を与えられたのも加増時だとしている。
  35. ^ 桜木『高山公』P35。この頃から高虎は儒者の三宅亡羊に資治通鑑を講義させており、中国の歴史に感激していたという。桜木は、高虎は趙普のようだと述べている。
  36. ^ a b 福井 2016, p. 67.
  37. ^ 白峰旬「藤堂高虎は関ヶ原で大谷吉継と戦った―『藤堂家覚書』の記載検討を中心に―」『十六世紀史論叢』9号、2018年。 
  38. ^ 藤田 2018, p. 55.
  39. ^ a b c 藤田 2018, p. 56.
  40. ^ 藤田 2018, p. 60.
  41. ^ 福井 2016, p. 188.
  42. ^ 福井 2016, p. 9.
  43. ^ 藤田 2006, p. 28.
  44. ^ 福井 2016, p. 137.
  45. ^ 藤田 2006, p. 17.
  46. ^ 藤田 2006, p. 18.
  47. ^ 藤田 2006, pp. 86–102.
  48. ^ 藤堂藩家老の中川蔵人の日記には「餅を土産として渡された」とある。
  49. ^ 西田久光『出世の白餅考』
  50. ^ 『公室年譜略』寛永5年正月廿七日や同年9月15日など。
  51. ^ a b 藤田 2006, p. 30.
  52. ^ 藤田 2016, p. 32.
  53. ^ 『名将言行録』
  54. ^ 『武家盛衰記』
  55. ^ 福井p.165
  56. ^ 藤田 2006, p. 13.
  57. ^ 福井 2016, p. 57.
  58. ^ 今治p.24,26
  59. ^ a b 福井 2016, p. 173.
  60. ^ 福井 2016, p. 174.
  61. ^ 藤田 2006, p. 16.
  62. ^ a b c 福井 2016, p. 150.
  63. ^ 山鹿素行武家事紀
  64. ^ 『武将感状記』
  65. ^ 古賀桐庵『良将達徳鎖』
  66. ^ 福井 2016, p. 151.
  67. ^ 尾下成敏「蒲生氏と徳川政権」(初出:日野町史編さん委員会編『近江日野の歴史』第二巻 中世編 第四章第三節、2009年/所収:谷徹也 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第九巻 蒲生氏郷』(戒光祥出版、2021年)ISBN 978-4-86403-369-5)2021年、P236-237・261.


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