磯野員昌(いその かずまさ) ????~????
◇父:磯野平八郎員宗 子:磯野右近行信 養子:織田(津田)信澄
北近江・浅井氏家臣。磯野氏は元は近江守護京極氏の被官であり、浅井氏が京極氏から離反した後も京極氏を守っていたが、員詮の時、浅井氏に抵抗する有力被官浅見氏に与して敗れ、浅井亮政の軍門に下った。員昌は浅井長政の有力武将として多くの戦いに参戦、姉川の戦いでは先陣を務め、倍する尾張・織田氏の軍、13段の構えの内11段まで打ち破る猛攻を見せた。しかし、姉川の戦いでは浅井氏が敗れ、居城佐和山城に引き揚げた。その後、諜略により内通を疑われて人質を殺されたことから、織田方に降伏した。織田氏の下、近江・新庄城主になるが、1578年突如所領没収され、高野山に逃れた。
磯野員昌
磯野員昌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 17:58 UTC 版)
8巻でいきなり登場した浅井家家臣。長政から「信長との戦で活躍しようとしている」と告げられ、反論出来ずに黙り込んだ。
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磯野員昌(いその かずまさ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:19 UTC 版)
「センゴク」の記事における「磯野員昌(いその かずまさ)」の解説
通称は丹波守。佐和山城主を務める浅井軍きっての猛将。織田信長と対決姿勢を表明しながら逡巡する長政を支え、姉川の戦いでは山崎を先駆けとして先鋒隊の将として織田軍を壊滅寸前にまで追いつめるも、山崎が討死にすると作戦の失敗を悟った。その後は佐和山城に籠もって織田軍に抵抗するが、支えきれずに降伏、織田家に仕える。
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