磯野家
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磯野マリ子 演 - 熊谷真実 磯野家長女。明るく真面目な努力家。家族からは「マー姉ちゃん」と呼ばれる。年の近いマチ子とは仲が良い。高等女学校在学中から油絵を学び、福岡新聞主催の展覧会で裸婦像が入選して注目を浴びる。 女学校卒業後に家族揃って上京し、一流といわれる川添画塾へ入門して基礎を学ぶ。母親のはるから財産を全て使いきったことを打ち明けられると、家賃の安い家に引っ越し、油絵をやめて挿絵画家を志す。菊池寛の連載小説「女性の戦ひ」の挿絵を担当し人気挿絵画家となるが、増田雄作の官能的な小説を担当したのをはるに反対され、やむなく児童向け挿絵に転じる。東郷からの強引なプロポーズから結婚に至るが、出征のため結婚生活は一週間で終わる。福岡に疎開後、鹿児島に越した伯父の妻に乞われ、東郷の実家に嫁として住み込み、伯父の家に通うが、東郷戦死後は実家へ戻る。 再上京前にはるから福岡の家の売却費を託され、「姉妹出版」を起こし、マチ子の「サザエさん」単行本出版に邁進する。東郷の七回忌を機に籍を抜いたが、独身を通す。マイペースな母親に振り回されながらも長女として家族を支えていく。 モデルは長谷川毬子。 磯野はる 演 - 藤田弓子 マリ子・マチ子・ヨウ子の三姉妹の母。鹿児島県出身。同郷の夫とは1年前に死別。熱心なクリスチャンで「明日のことを思いわずらうなかれ」が信条。お金や物に執着がなく、困っている人の話を聞くと気前よくあげてしまうため、娘たちからは「病気」とあきれられていたがマリ子、マチ子が稼いだ金までも取り上げるように恵まれない子供達に寄付した事を正当化し「独裁者」と陰口を叩かれる。一見おっとりしているが、大胆に即決行動をするのは人によっては自分勝手な行動にも見られ、家族や周囲を困惑させる。 マリ子の展覧会入選と夫の一周忌を機会に上京し、マリ子を一流の画塾に入れ、漫画好きのマチ子は田河水泡への弟子入りをさせる一方、自身は教会のオネスト神父の手伝いで頻繁に家を空ける。やがて財産を全て使いきってしまうが、「神様を信じてまっとうに生きればやもめとみなしごの家に粉の尽きることはない」と平然としていた。増田の官能的な小説の挿絵をマリ子が担当しているのを知ると激怒し「こんな不潔な仕事はすぐにお辞めなさい。こんな小説に係わっていたら自分が堕落するだけでなく、純真な青少年に汚す害毒を流す、片棒を担ぐことになる。以後自分に恥じぬ明朗なる仕事をなさい。」と横槍を入れて辞めさせる。オネスト神父が収監されると毎日抑留所に通い解放を訴えた。 福岡へ疎開後はヨウ子の入院した今津の療養所で、ヨウ子のみならず他の患者の世話を焼き、戦後ヨウ子が再入院した際も同様に療養所で世話を焼いた。 再上京前、福岡の家を売り払い、マリ子に「サザエさんを出版なさい」と一方的に命じる。大量の返本を抱えても動じず、「版型を変えればいい」「お金は借りればいい」と平然と言い放つ。 初孫の正子を溺愛する。最終話では彩子の誕生を機会に100万円を寄付すると宣言してマリ子とマチ子をあきれさせた。 モデルは長谷川貞子。 磯野マチ子 演 - 田中裕子 磯野家次女。通称は「マッちゃん(姉ちゃま)」。勝気で口数が多い。マリ子とは気が合いすぎる故、ちょっとしたことから口喧嘩をすることも多い。漫画を描くのが得意で、田河水泡の「のらくろ」の大ファン。 母親の勧めでマリ子と田河家に押しかけて弟子入りし、15歳で漫画家デビューする。女学校卒業後、田河の内弟子になったがホームシックになり1年足らずで実家に戻る。戦時中は紙不足のため仕事もほとんどなくなったため、帝大分室で標本を模写する仕事をはじめる。塚田の紹介で一家で長野県佐久に疎開し、小学校の絵の先生になる話が進んでいたが、福岡に疎開し、地元新聞社の写真校正係になる。 戦後は新聞社の元上司から新しい夕刊紙の漫画掲載を持ちかけられ「サザエさん」の連載を開始するが、塚田が出した新聞広告を見て再上京を決意し、「サザエさん」は連載終了して一家で東京に向かう。胃痛に悩まされながらも「サザエさん」連載を再開し、漫画で家計を支える。胃潰瘍で入院し、胃の5分の4を摘出するが、漫画家として活動を続ける。 モデルは長谷川町子。 磯野ヨウ子→島村ヨウ子 演 - 早川里美(幼少期:平塚磨紀) 磯野家三女。おとなしく人見知り。姉二人とは年が離れており、初登場時は小学生。東京に越してからも下校中に迷子になるなどのトラブルで周囲を心配させる。 女学生になってもおとなしさは相変わらずであるが、家計の危機を察するといざとなったら女学校を退学する覚悟を決め、姉たちを見守る。女子大学国文科に進学したが、作文を読んだはるがマリ子に命じて菊池寛のところに持ち込ませると、才能を認められ、退学して菊池から「西鶴諸国ばなし」の講義を受ける。その後春秋文学社に就職するが、当時不治の病とされた肋膜炎で倒れ、自宅療養生活となる。福岡疎開後、療養所に入所するが、戦後マリ子、マチ子らが闇屋との取引で食料を仕入れた効果もあって快復し自宅に戻る。 再上京後はマチ子の仕事の手伝いをする。昭和25年、見合い結婚するが、夫婦で磯野家に同居する。正子・彩子を出産する。 モデルは長谷川洋子。
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