高虎と餅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 12:56 UTC 版)
講談、浪曲『藤堂高虎、出世の白餅』では、阿閉氏の元を出奔し浪人生活を送っていた若き日の高虎(当時は与右衛門)が空腹のあまり、三河吉田宿(現・豊橋市)の吉田屋という餅屋で三河餅を無銭飲食し、そのことを店主の吉田屋彦兵衛に正直に白状して謝罪した。だが彦兵衛に「故郷に帰って親孝行するように」と諭され路銀まで与えられる。吉田屋の細君もたまたま近江の出であったという。後日、大名として出世した高虎が参勤交代の折に立ち寄り、餅代を返したという人情話が伝えられている。ちなみに高虎の旗指物は「三つ餅」。白餅は、「城持ち」にひっかけられているともいう。なお参勤交代の際の主人は三代目中西与右衛門というもので、彼の先祖は織田信長に清州屋として仕え、本能寺の変の後吉田宿で酒問屋を始めたという。 この逸話は「中川蔵人日記」天保10年(1839年)5月24日七つ半の時に記された話で、中川が中西与右衛門のもとを訪ねた際に「吉例の餅」を出され、高山様(高虎)が召し上がられてから以降、入宿の際には主人が麻裃にて餅を搗くのが習慣である、という話を聞いた、と書き記している。
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