家名再興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:06 UTC 版)
後、兼幸の母・税所篤弘の長女が、島津家久の娘・菊姫(島津久慶室)に仕えた功績により、肝付家の家名再興を許されることになったが、後継者は肝付氏とは遠縁の新納忠秀の子(新納氏は母の母、すなわち兼幸の母方の祖母の実家)・兼康が迎えられたため、実質的に兼幸で肝付家の本家は血統上の終焉を迎えたともいえる。 その後の肝付家は、100石取りの薩摩藩士として存続した。 表 話 編 歴 大隅肝付氏20代当主(1600-1611) 兼俊 - 兼経 - 兼益 - 兼員 - 兼石 - 兼藤 - 兼尚 - 兼重 - 秋兼 - 兼氏 - 兼元 - 兼忠 - 兼連 - 兼久 - 兼興 - 兼続 - 良兼 - 兼亮 - 兼護 - 兼幸 - 兼康 - 兼親 - 年兼 - 経験 - 治兼 - 兼群 - 兼命 - 兼明 - 兼施 - 兼寛 - 兼亮 - 兼冬 - 兼遠 -
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