越後山本家の家名存続
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 09:35 UTC 版)
戊辰戦争を戦った越後山本家は明治16年(1883年)2月に河井家とともに家名再興を許可されたものの、跡継ぎに恵まれなかった。このため名門の山本家が断絶することを恐れた渡辺廉吉らのはからいにより、大正5年(1916年)に長岡士族・高野家(高野貞吉)から養子に入ったのが後の連合艦隊司令長官山本五十六である。
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