秋田伊達家とは? わかりやすく解説

国分氏 (陸奥国)

(秋田伊達家 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/22 04:10 UTC 版)

国分氏(こくぶんうじ、こくぶんし)は、南北朝時代から戦国時代の末まで陸奥国陸奥国分寺付近から宮城郡南部に勢力を張った武士(国衆)の一族である。戦国時代末に伊達氏から当主として国分盛重を迎えて伊達氏に臣従することとなったが、慶長元年(1596年)に伊達政宗の不興を買い、大名としての国分氏は滅んだ。


注釈

  1. ^ 棟札そのものを調査した文は、(仙台市史編さん委員会 1995)では資料番号256(372頁)、284(381頁)、327(402頁)にある。神社がある芋沢村が『安永風土記書出』の一部として安永3年(1774年)7月に記した報告の控えは、『宮城町誌』史料編(改定版)202-203頁にある。これらを長沼氏・郷六氏・国分氏をつなげる根拠とするのは、(平 1989, pp. 16–17)、(仙台市史編さん委員会 2000, pp. 218–221)である。
  2. ^ 仙台市若林区南小泉。江戸時代初期の若林城の前身か、付近にあったと推測される。
  3. ^ 仙台市太白区大年寺山にあった城。
  4. ^ 佐々木慶市(「中世の仙台地方」・『宮城県史』・「国分氏について」)と紫桃正隆(『みやぎの戦国時代』[15])が国分氏の宮城郡拝領を認める。(仙台市史編さん委員会 2000, p. [要ページ番号])は不明とする。
  5. ^ 佐々木慶市、2000年刊『仙台市史』等が長沼氏と推定するが、紫桃正隆は結城氏系の可能性を指摘する。平重道「藩政時代以前の宮城町」は両方から入った可能性を見る。
  6. ^ この白石氏は地名でいうと今の泉区根白石で、今の白石市にいた白石氏とは異なる。
  7. ^ このほか御落胤事件あり。 享保6年(1721年)、国分荘七北田の国分盛春(川村玄硯)という医者が、盛重と国分盛廉の娘の男児、盛廉の娘に仕えた女性が政宗の妾となって生まれた落胤双方の血を引く(つまり政宗の孫で盛重の曽孫)と名乗り出て証拠となる物を提示し、仙台藩に相応の扶持を求めた。 藩は十数年の詮議の末、これを偽者と結論づけ、磔刑、親族らも遠島に処した。(『伊達治家記録』)
  8. ^ 1655年平塩熊野神社妙法堂を平塩寺と改めた際住職として迎えられたという。
  9. ^ なお、「秋田武鑑」では実永は奥州覚性院開基で盛重の弟ともある。
  10. ^ 通称は主膳。特に伊達忠宗に重用された。
  11. ^ 九曜は国分氏の家紋。 仙台藩祖政宗によって伊達氏でも裏紋のひとつに加えられたが、 古くから国分氏、相馬氏などを含め千葉氏の流れを汲むと伝わる家などの代表的な紋として知られていた。 なお、政宗はのちにこの紋を片倉景綱(小十郎)に与えている。

出典

  1. ^ a b 太田 1934, p. 2279.
  2. ^ 丹羽 1970, p. 143.
  3. ^ 佐々木 1950, p. 232, §.「中世の仙台地方」.
  4. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, p. 368.
  5. ^ 『伊達正統世次考』4応永9年条[4]
  6. ^ 田辺 1975a, p. 7, §.巻之一府城「仙台城」.
  7. ^ 平 1989, pp. 15–16, §.「藩政時代以前の宮城町」.
  8. ^ 佐々木 1950, pp. 230–232, §.「中世の仙台地方」.
  9. ^ a b 仙台市史編纂委員会 1953, p. 77.
  10. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, p. 235.
  11. ^ 太田 1934, p. 2280.
  12. ^ 仙台市史編纂委員会 1953, p. 87.
  13. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, p. 248.
  14. ^ 紫桃 1993, pp. 258–260.
  15. ^ 紫桃 1993, p. [要ページ番号].
  16. ^ 『白川文書』。(宮城県 1987a, p. 203)(仙台市史編纂委員会 1953, p. 49)に「沙彌某等施行状」として、(仙台市史編さん委員会 1995, p. 356)に「奥州管領府奉行人連書奉書」として収録。
  17. ^ 『白川文書』。(宮城県 1987a, p. 350)(仙台市史編纂委員会 1953, p. 50)に「大崎家兼安堵状」、(仙台市史編さん委員会 1995, p. 357)に「斯波家兼預状」として収録。
  18. ^ a b 仙台市史編纂委員会 1953, p. 75.
  19. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, p. 233.
  20. ^ 『奥州余目記録』[18][19]
  21. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, p. 232.
  22. ^ 『奥州余目記録』[18][21]
  23. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, p. 239.
  24. ^ 『奥州余目記録』。[9][23]
  25. ^ 『相馬文書』。(宮城県 1987a, p. 203)(仙台市史編纂委員会 1953, p. 53)に「大崎直持宛行状」として、(仙台市史編さん委員会 1995, p. 359)に「斯波直持宛行状」として収録。
  26. ^ 宮城県 1987a, p. 390.
  27. ^ 以上各氏は『国分文書』の「佐藤純粋書状」[26]平重道「藩政時代以前の宮城町」23頁。
  28. ^ 仙台市史編纂委員会 1953, p. 80.
  29. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, pp. 239–240.
  30. ^ 仙台市史編さん委員会 2000, pp. 321–322.
  31. ^ 『奥州余目文書』[28][29][30]
  32. ^ 宮城県 1987a, p. 389.
  33. ^ 『留守文書』。(宮城県 1987a, p. 388)、(仙台市史編さん委員会 1995, p. 375)に「留守景宗宛行状写」としてある。
  34. ^ 仙台市史編さん委員会 1995, p. 380.
  35. ^ 『伊達正統世次考』8下[34]
  36. ^ 宮城県 1987a, p. [要ページ番号].
  37. ^ 仙台市史編さん委員会 2000, p. 363.
  38. ^ 『伊達正統世次考』[37]
  39. ^ 宮城県 1987a, p. 394.
  40. ^ a b 仙台市史編さん委員会 1995, p. 419.
  41. ^ 『国分文書』[39][40]
  42. ^ a b 宮城県 1987a, p. 393.
  43. ^ 『性山公治家記録』3天正5年[42][40]
  44. ^ 佐久間「平姓国分系図」[42]
  45. ^ 1995年刊『仙台市史』通史編2(古代中世)402-403頁[要文献特定詳細情報]
  46. ^ 1995年刊『仙台市史』通史編2(古代中世)410頁[要文献特定詳細情報]
  47. ^ 1995年刊『仙台市史』通史編2(古代中世)412頁[要文献特定詳細情報]、同通史編3(近世1)56-57頁。
  48. ^ 佐久間義和『奥羽観蹟聞老志』巻之六、『仙台叢書奥羽観蹟聞老志』上巻202頁。
  49. ^ 1995年刊『仙台市史』通史編2(古代中世)418-419頁[要文献特定詳細情報]
  50. ^ 「秋田県公文書館蔵『国分文書』」所収「覚性院納所浄光房口上書」、「覚性院澄祐覚書」。



秋田伊達家

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国分氏 (陸奥国)」の記事における「秋田伊達家」の解説

盛重とその養子からなる子孫伊達氏名乗って代々佐竹氏仕え、秋田伊達家となった。なお、秋田武鑑では石高1,000石で後に527石、家格引渡二番坐で出羽秋田藩家老相手番を勤めたことや菩提寺白馬寺家紋九曜紋、処宗の次男と敦重の次三男国分氏称したのが確認できるまた、三百家臣人名事典」では国分姓を嫡子以外の男子伝えたとある。元和8年(1622年)の大眼宗の指導者厳中の捕縛失敗して宣宗の代で一旦断絶となるが次の隆宗が家名再興許され再興秋田武鑑確認できる歴代当主以下の通り。尚、宣宗以降歴代当主佐竹氏宗家当主より偏諱授与受けており、< より右側、太斜字 の人物が1字を与えた人物である。原則的に通字は「宗」(むね)。 伊達盛重(三河守) 伊達宣宗(左門。実は佐竹義久(中務大輔)三子) < 佐竹義宣 伊達隆宗(外記) < 佐竹義隆 伊達處時(処時)(一十郎) < 佐竹義處(義処) 伊達處宗(処宗)(備前。実は佐竹義秀(中務)四子で秋田新田藩佐竹義道叔父相手番を勤める) < 佐竹義處 伊達峯宗(備前佐竹義敦家老) < 佐竹義峯 伊達敦宗(外記相手番を勤める) < 佐竹義敦 伊達敦重(外記。敦宗弟。相手番を勤める) < 佐竹義敦 伊達和宗(彦九郎。敦重の子。) < 佐竹義和

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