国分宗政とは? わかりやすく解説

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国分宗政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/14 19:36 UTC 版)

国分宗政(こくぶんむねまさ、生没年不明)は、日本の戦国時代陸奥国宮城郡にいた武将である。能登守を称した。はじめ盛光といったとする伝えがあり、また、弾正少弼を称した国分宗綱も同一人物とされる。周辺の土豪を従えて宮城郡南部から西部を支配する勢力を築いた。が、大局的には伊達氏の威勢に服し、1536年大崎氏への介入で伊達氏に従って兵を出し、1542年以降の天文の乱では伊達稙宗側についた。1572年に引退した。法名は覚海宗公大禅門。


  1. ^ 以下、佐久間編の系図については『仙台市史』第3巻(別編1)232-246頁による。
  2. ^ 『仙台市史』通史編2(古代中世)403頁。
  3. ^ 以下、古内氏所蔵の「平姓国分系図」については『宮城県史』第1巻(古代中世)206頁による。先行する1950年刊『仙台市史』第3巻にほぼ同じ図があり、両書とも該当箇所は佐々木慶市が執筆を担当した。
  4. ^ 『宮城県史』復刻版第1巻206頁。
  5. ^ a b 2000年刊『仙台市史』通史編2(古代中世)220-221頁。
  6. ^ 2000年刊『仙台市史』通史編2(古代中世)373-374頁。
  7. ^ 2000年刊『仙台市史』通史編2(古代中世)374頁。
  8. ^ 『残月台本荒萩』巻之一、『仙台叢書』第1巻241-242頁。
  9. ^ 紫桃正隆『みやぎの戦国時代』262-263頁。
  10. ^ 2000年刊『仙台市史』通史編2(古代中世)363頁。
  11. ^ 2000年刊『仙台市史』通史編2(古代中世)364頁。
  12. ^ 高野山竹南院にあったものの写しが、秋田県収蔵の『国分文書』の中にある。佐々木慶市「古代中世の仙台地方」1950年刊『仙台市史』第3巻361頁、1953年刊『仙台市史』第8巻(資料篇1)60-61頁、1995年刊『仙台市史』資料編1(古代中世)384頁に収録。国分能登守宗政、林光坊快等、鶴谷大蔵尉宗重、松森金内正久の連名である。
  13. ^ 1995年刊『仙台市史』資料編1(古代中世)402-403頁と、『市史せんだい」第5号の史料紹介「秋田県公文書館所蔵『国分文書』」114-115頁に、「保寿寺京円覚書」が収録されている。『宮城県史』復刻版第1巻389-390頁にも引用がある。
  14. ^ 2000年刊『仙台市史』通史編2(古代中世)350頁。
  15. ^ 2000年刊『仙台市史』通史編2(古代中世)407頁。


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