最上義守
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最上 義守(もがみ よしもり)は、出羽国の戦国大名。最上氏第10代当主。中野義清(よしきよ)[注釈 1]の子。最上義光の父、伊達政宗の外祖父にあたる。
注釈
出典
- ^ a b c 『系図纂要』『最上家譜』
- ^ 「伊達正統世次考」『史料総覧』9編910冊189頁。
- ^ 『寒河江市史 上巻』p.755-758
- ^ 武田喜八郎「山形・曽根家の中世文書の写本について」『山形県地域史研究』10号、1984年。
- ^ 『言継卿記. 第三』pp.353-354。永禄6年6月14日条。
- ^ 伊藤 & 山口 2002, pp. 97–99.
- ^ 「立石寺文書」『大日本史料』10編3冊1012頁。元亀元年正月。
- ^ a b 粟野敏之「戦国大名最上氏の成立過程-元亀・天正初期の内訌をめぐって-」『史学論集』10号、駒澤大学大学院史学会、1980年。/所収:竹井英文 編 『最上義光』〈シリーズ・織豊大名の研究 第六巻〉戎光祥出版、2017年、57-58頁。ISBN 978-4-86403-257-5。
- ^ 伊達輝宗日記/原題天正二年御日日記『大日本史料』10編20冊589頁
- ^ 『伊達輝宗日記』/原題天正貳年御日日記『大日本史料』10編23冊259頁。
- ^ 伊藤 2016, p. 42.
- ^ 伊藤 2016, p. 44.
- ^ 伊豆田忠悦「一相坊円海置文」『山形市郷土館 郷土館だより』No.54、1993年9月。
- ^ 粟野俊之(大本山永平寺史料全書編纂室室長)『村山民俗学会 会報』第207号、2009年。
- ^ a b 胡偉権「山形最上氏と中野氏・寒河江大江氏―義光のゆかりを探る」
- ^ 快庵良慶長光尼「高野山観音院過去帳」
- ^ 『奥羽永慶軍記』最上義光記念館HP、片桐繁雄、2008
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