前歴-上山家家臣として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 03:42 UTC 版)
出羽国の豪族で上山城城主・上山満兼の家臣であった里見義近の子として生まれる。 天正2年(1574年)の天正最上の乱で主君・満兼は最上義守の子・義光に加担した。。これを受け、里見軍は義守方の伊達輝宗の家臣・小梁川盛宗の攻撃を受けている。なお民部らは最上・伊達どっちつかずだったという。しかし9月1日から10日の間行われた4度に及ぶ和平交渉の使者として活躍した。 9月12日、伊達輝宗は礼服を着用して最上家と停戦する。民部も伊達との停戦協定を結んだ。 のちに天童・最上の戦により主君・満兼は天童方につき最上八楯を形成する。民部は異母兄・里見内蔵助に従い、天童方についた。
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