仙台藩の家格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/08 06:00 UTC 版)
江戸時代に日本の陸奥国にあった仙台藩は、家臣の間に上下の序列を付けるために家格という序列制度を定めた。家格は他藩にもあるが、多数の家臣[1] を抱えた仙台藩では独自の用語や内容も見られる。家格は上から一門、一家、準一家、一族、宿老、着座、太刀上、召出、平士(番士)、組士である。平士および組士は、狭い意味では家格を持たないものとされた。召出以上の上層家臣を「門閥」と呼んだ[2]。組士の下には武士・侍に含められない卒身分があり、これも家格とは無縁である。また、家臣の家臣、つまり陪臣は仙台藩が律する対象に入らなかった。
- ^ 幕末には仙台藩の家臣は3万8,000人いたという。関(2008)p.124
- ^ a b c 関(2008)p.124-125
- ^ 『伊達正統世次考』の説。小林清治が執筆した1954年刊『仙台市史』第1巻92頁は、「晴宗公采地下賜録」によって同様の説をとる。
- ^ 齋藤鋭雄「仙台藩家臣団の成立と編成」219-220頁。
- ^ 平重道『伊達騒動』、宝文堂、1970年、101-頁。『仙台市史』通史編4(近世2)、43-46頁、執筆担当は平川新。
- ^ 仙台藩では家老職を奉行と称した。
- ^ 1954年刊『仙台市史』第1巻93-94頁。
- ^ 齋藤鋭雄「仙台藩家臣団の成立と編成」243頁。
- ^ J. F. モリス「仙台藩の地方知行」261-263頁。
- ^ 『伊達正統世次考』巻之10上、天文22年正月。『伊達治家記録』に初めて見えるのは慶長19年(1614年)正月元日。齋藤鋭雄「仙台藩家臣団の成立と編成」213-214頁、219頁も参照。
- ^ 齋藤鋭雄「仙台藩家臣団の成立と編成」215-217頁。
- ^ 『宮城県史』復刻版第2巻67-70頁。
- ^ 『宮城県史』、復刻版第2巻373頁。
- ^ 『宮城県史』復刻版第2巻51-54頁。
- ^ a b 齋藤鋭雄「仙台藩家臣団の成立と編成」217頁。
- ^ 齋藤鋭雄「仙台藩家臣団の成立と編成」220頁。
- ^ 齋藤鋭雄「仙台藩家臣団の成立と編成」219頁。
- ^ 『宮城県史』復刻版第2巻70-75頁。
- ^ 藤原相之助「封建郡県過渡期の仙台地方」17-18頁。
- 1 仙台藩の家格とは
- 2 仙台藩の家格の概要
- 3 明治時代の家格
- 仙台藩の家格のページへのリンク