家格の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/08 06:00 UTC 版)
仙台藩の家臣は、藩主との血縁関係がない家まで含めて、血縁関係になぞらえた家格によって上下の序列をつけられた。このうち、一家・一族の成立がもっとも早く、室町時代にさかのぼる。一家・一族を文字通りの親戚の意ではなく家臣の序列のために用いたのは伊達晴宗の代とされるが、もっと古く伊達尚宗・稙宗の時期に遡るとする説もある。 一門を設けたのは伊達政宗で、慶長11年(1606年)に初めて見える。政宗による領土拡大期に服属した小大名クラスと、政宗以降に分かれた分家をあわせたものである。準一家はさらに下るが、その待遇は政宗の代にできたようである。準一家は、他の戦国大名の重臣クラスが服属したものである。 政宗と次の忠宗の時代の初め(1630年代)には宿老より下に家格がなく、惣士、諸士、群臣などの言葉で一括されていた。1640年代から着座以下が細分され、準一家も正式な家格になった。さらに、正月の儀式で藩主に元旦に挨拶するか二日に挨拶するかによって着座以下に一番座、二番座の区別が作られた。狭い意味での家格は一門から召出までで、その下の平士・組士は家格を持たないものとされたが、平士の中にも序列が作られた。 家格は代々変わらず受け継がれるのが原則だが、部分的には絶えず変更があった。抜擢によって上がり、罰によって下がり、断絶すれば絶える。流動性は藩政初期に高く、後期に低かった。
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