家業継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 06:35 UTC 版)
「佐藤正樹 (実業家)」の記事における「家業継承」の解説
佐藤が入社した当時の繊維業は最盛期だったが徐々に衰退。工場が回らなくなった日にはトラックに製品を積んで夫婦で県内を周り、売りに出たこともあった。 また、ある時から他社と差別化するために日本にはないような糸を世界中から買い集め製品に使用していた。そんなある日、いつも使っていたイタリアの糸メーカーからイタリアで開催される糸の展示会へ来てみないかと言う誘いがあった。当時はイタリア視察へ行くような余裕のあるニットメーカーなどはいなかったため最初は躊躇していたが、日本では見たことがない糸を作っている工場を見る事ができるチャンスだと思いイタリア行きを反対する父親を説得し、見学に行ったことが人生の転機となった。 そして佐藤は紡績業ではなくニットを作っている企業として見学へ行った。当然佐藤は紡績業も行っているため、機械を見ればその糸の作り方が分かる。それを利用し日本では作れない糸の作り方とその技術を真似しようという目的だった。しかし現地で案内してくれたイタリアの紡績工場の工場長は佐藤をニットメーカーだと思っているため、機械の改造の仕方まで熱く丁寧に語ったのだという。自分たちのように誰かに指示されてものを作っているのではなく自分で考え、機械を改造し、自分の作りたいものを作っている、そんな姿に対して佐藤はニットメーカーのふりをして紡績の技術を盗もうとした自分がとても惨めで恥ずかしくなったという。 また、翌日は現地の展示会に行ったがそこでは日本の展示会との演出の差に愕然とした。当時の日本は注文をもらって、指示されたものを作るという所謂、下請だったがイタリアでは何も無い所から新しいものを生み出しておりショックを受けた。帰路の飛行機内で「言われたものをつくる」のではなく「自分のつくりたいものを作る」と心に決め帰国。 しかし、佐藤の決意に対し社員からはなかなか理解を得られず苦しい日々を過ごすこととなる。その後、試行錯誤しイタリアへ同行した古参の職人とともに新しい糸の開発を行う。そうして出来上がった糸は色がグラデーションで太いところと細いところがあるこれまでに見た事のないような糸だった。実際に販売するも品質が不安定だったことから返品となってしまうが、改良を重ねその糸が本当に完成したのは返品から約3年後である。 佐藤は2005年に佐藤繊維株式会社の代表取締役に就任。以降自身で世界中を周り原料探しの旅に出るなどし、色鮮やかなグラデーションの糸や極細モヘア糸の開発などを行う。2007年にイタリアのフィレンツェにて開かれる紡績の展示会「ピッティフィラーティ」へ初出展する。その展示会でこれまで開発してきた糸を評価してもらったが展示会後リーマンショックにて円高に。商談が全てキャンセルになる状況となったが、2009年にオバマ大統領就任式にてミシェル夫人が着用したカーディガンに同社の極細モヘア糸が使用されており一躍話題となる。この有名な極細のモヘア糸「FUUGA」については当時1gの原料からおよそ13mまで伸ばすことが限界とされていたがそれをはるかに超える52mまで伸ばすことに成功している。そのモヘア糸で編んだニットは軽くて暖かく、肌触りもとてもよいと言われている。 また、佐藤はJBKS(ジャパン・ベストニット・セレクション)の実行委員や日本ニット工業組合連合会の理事長、他グループ会社の社長も務めている。2014年9月にオープンしたセレクトショップGEAでは自社ブランドはもちろんのこと、地元の工芸品や生活雑貨などを販売し、地元の野菜を使った料理なども提供している。セレクトショップGEAはものづくりの背景にあるストーリと文化を発信していく目的がある。さらに、希少な高い技術力を途絶えさせない目的で2020年9月には倒産したトーションレース・ブレードメーカーのカツミ産業の事業を引き継いでクマムレース株式会社を設立し代表取締役も務める。他にも月山紡績株式会社や山形整染株式会社も同様の理由からグループ会社として設立している。糸の開発は現在も続いており昨今ではサスティナブルな糸として再生ポリエステル糸や他、機能性のある糸として燃えない糸や切れない糸なども開発している。
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