稲田三郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/04 15:18 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動
現在、削除の方針に従って、この項目の一部の版または全体を削除することが審議されています。 削除についての議論は、削除依頼の依頼サブページで行われています。削除の議論中はこのお知らせを除去しないでください。 この項目の執筆者の方々へ: まだ削除は行われていません。削除に対する議論に参加し、削除の方針に該当するかどうか検討してください。また、本項目を既に編集されていた方は、自身の編集した記述内容を念のために控えておいてください。 |
いなだ さぶろう
稲田 三郎 |
|
---|---|
生誕 | 1953年7月14日(66歳)![]() |
国籍 | ![]() |
職業 | 経営者 |
稲田 三郎(いなだ さぶろう、1953年〈昭和28年〉7月14日 - )は、日本の経営者である。コーベヤ社長、三木商工会議所会頭[1]。
経歴
兵庫県小野市出身[1]。1972年(昭和47年)、兵庫県立小野高等学校を卒業し早稲田大学に進学。翌1973年(昭和48年)、家業継承のため同大を中退[1]。同年、神戸屋運動具店(後のコーベヤ)に入社、社長に就任した[1]。
2004年(平成16年)2月、三木商工会議所副会頭に就任するとともに三木市観光協会会長を兼務[2]。2008年(平成20年)1月31日、三木鉄道三木線の廃線後の沿線活性化策を検討する三木鉄道跡地等利用検討協議会の副会長に指名[3]。
2009年(平成21年)10月24日、翌2010年(平成22年)1月10日に告示される三木市長選挙への出馬を表明[2]。副市長制の導入などを主張し[2]、無所属ながら連合兵庫や地元経済界からの支援も受けた[4]が、1月17日投開票の結果、現職の薮本吉秀に敗れ落選した[5]。
2013年(平成25年)、再び三木商工会議所副会頭に就任[1]。一旦コーベヤ社長を退任し相談役となるも2017年(平成29年)に復帰した[1]。2019年(令和元年)10月29日、任期満了に伴う役員改選で三木商工会議所会頭に選出、就任した[1][6]。
人物
ノーリツ社長の國井総一郎とは幼稚園から高等学校まで同級生で、夫婦2組で旅行やコンサートに出かける仲[7]。國井は自身の「寝ても覚めても経営を考え、いい時こそ先手を打つ」という経営姿勢を「彼(稲田)譲り」と述べている[7]。
脚注
- ^ a b c d e f g “三木商工会議所 新会頭に稲田三郎氏を選任”. ひょうご経済+ (神戸新聞社). (2019年10月29日) 2019年12月25日閲覧。
- ^ a b c “選挙:三木市長選 現職・薮本氏、新人・稲田氏が出馬へ”. 毎日新聞兵庫版朝刊 (毎日新聞社). (2009年10月25日)
- ^ “三木鉄道廃止後を議論 「トロッコ走らせて」も”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2008年2月2日). オリジナルの2008年6月9日時点によるアーカイブ。 2020年1月4日閲覧。
- ^ “三木市長選 薮本氏が再選”. 神戸新聞神戸版 (神戸新聞社). (2010年1月18日)
- ^ “三木市長選:薮本吉秀氏が再選”. 毎日新聞兵庫版朝刊 (毎日新聞社). (2010年1月22日)
- ^ “三木商工会議所が懇談会 新会頭「少しずつでも前進を」”. 神戸新聞NEXT (神戸新聞社). (2019年11月8日) 2019年12月25日閲覧。
- ^ a b “交遊抄:寝ても覚めても 國井総一郎”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2014年4月23日)
外部リンク
- 稲田三郎のページへのリンク