土田家歴代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/26 17:00 UTC 版)
初代・友湖(1687年 - 1757年、土田七太夫 通称:半平・勘平 号:友湖・不染斎)西陣織の仲買人だったが、袋師・亀岡宗理の弟子となってその家業を継いだ。表千家の六代・覚々斎の時に千家の袋師となり、後に七代・如心斎より友湖の号を贈られた。 二代・半四郎(1736年 - 1757年、法号:了圓)初代不染斎の子、初代在世中に没す。 三代・半四郎(1746年 - 1784年、号:一得斎友甫)初代の甥。丁字屋嘉兵衛長男。了圓の養子。 四代:鶴寿院貞松(1719年 - 1801年)二代半四郎の姉・くに。三代半四郎の子供が幼少のため、表千家八代・啐啄斎の命により家業継承。1788年、天明の大火により家屋を焼失するが、啐啄斎の援助により再建。 五代・半四郎(1778年 - 1825年、号:伸定、蓮乗)三代一得斎の長男。この頃、室町一文字屋三右衛門、笹屋勘右衛門など服紗を扱っていた家が断絶したため、表千家九代・了々斎の計らいにより服紗も扱い始める。 六代・半四郎(1803年 - 1883年)五代の子。天明の大火で焼失した家系図や秘伝書の再編纂を進めるが、禁門の変に遭遇、再び家屋及び家伝などの一切を消失。 七代・半四郎(1835年 - 1911年、号:聴雪)西垣家出身。養子として土田家に入る。表千家十一代・碌々斎の引き立てを受ける。樂慶入と親交が深かった。 八代・半四郎(1861年 - 1911年、千之助 号:淡雪)七代の長女・阿さの婿養子。養父・聴雪を亡くした一月後に没す。 九代・半四郎(1892年 - 1914年、安治郎)八代淡雪の次男。22歳で亡くなる。 十代:浄雪院妙要(1859年 - 1940年)七代聴雪の長女、八代の妻である阿さ。夫・長男・次男の早世及び後継者の三男が幼少のため、家督継承。 十一代・半四郎(1902年 - 1965年)八代淡雪の三男、良三。昭和15年(1940年)、十代当主で母の阿さが亡くなったため家督継承するが、太平洋戦争勃発により幾度も召集される。終戦後、ようやく茶道復活の兆しが出始めた昭和29年(1954年)に病に倒れ、以後は入退院を繰り返し、家業に専念できぬまま世を去る。 十二代・半四郎(1939年 - )十一代良三の次男、陽三。当代土田友湖。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、日本の文化に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 日本・ウィキプロジェクト 日本文化)。
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