復活の兆し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 13:07 UTC 版)
「ゴールデンステート・ウォリアーズ」の記事における「復活の兆し」の解説
低迷が続いたウォリアーズであったが、後にチームの中心となる選手達をドラフトすることとなる。同様にチームとフィットする選手をトレードやFAで獲得、チームの軸を再構築し始めた。 2009-2010シーズンは、2009年のNBAドラフトでステフィン・カリーを全体7位指名で指名した。またトレードでジャマール・クロフォード、スピーディ・クラクストン、エイシー・ローをアトランタ・ホークスから獲得した。2009-2010シーズンが始まると、11月16日、スティーブン・ジャクソン、ローはシャーロット・ボブキャッツに放出され、代わりにラジャ・ベルとウラジミール・ラドマノビッチが加入した。しかしその後も補強を続けるも、補強した選手が怪我で離脱することが続き、シーズンは26勝56敗と大きく負け越した。 2010-2011シーズンは、2010年のNBAドラフトでエクペ・ウドーを全体6位指名で指名した。また、ニューヨーク・ニックスからデビッド・リーを獲得した。新しくキース・スマートをヘッドコーチに就任したがシーズンを通して36勝で終わった。 2011-2012シーズンはキース・スマートを解任し、新しくESPNなどで解説をしているマーク・ジャクソンをHCに招聘した。またペイサーズからブランドン・ラッシュを獲得した。ドラフトではクレイ・トンプソンを全体11位指名で指名した。その後トレードデッドライン直前にチームリーダーのエリス、クワミ・ブラウン、ユドーをミルウォーキー・バックスに放出し、アンドリュー・ボーガット、スティーブン・ジャクソンを獲得し、さらにジャクソンを引き換えにサンアントニオ・スパーズからT.J.フォード、リチャード・ジェファーソン、2012年の1巡目ドラフト権を獲得した(フォードは引退を表明していたため、即解雇)。それによってカリーとリーがキャプテンとなった。しかしシーズンは23勝で終え、2008年から4シーズン連続負け越しとなった。後に明らかになったことだが、ウォリアーズは当初エリスではなくカリーをトレードで放出しようとしていた。しかし怪我がちなカリーをバックスは拒否しエリスを要求、ウォリアーズ側が折れる形でのトレードとなっていた(その後エリスはチームを転々とする形となり、対照的にカリーは複数回のMVP受賞に優勝を経験、さらには史上最高額での契約を獲得することとなる)。 .mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}スプラッシュ・ブラザーズ ステフィン・カリー クレイ・トンプソン 2012-2013シーズンはウォリアーズ復活の年となる。前年度アシスタントGMだったボブ・マイヤーズがGMに就任し、ドラフトでハリソン・バーンズ、フェスタス・イジーリ、ドレイモンド・グリーンを指名。ニューオーリンズ・ホーネッツからジャレット・ジャック、カール・ランドリーを獲得した。守備の要として活躍が期待されたボーガットは怪我により、32試合の出場にとどまるも、ドラフトで獲得したバーンズ、エジール、グリーンらが即戦力となり、ローテーションの一角を担った。またカリーとトンプソンの両ガードによる「スプラッシュ・ブラザーズ」による3ポイント量産により、二人で483本の3ポイントを沈めた。さらに、リーの安定したシュートとリバウンド、ジャックの活躍、マーク・ジャクソンHCの手腕により、47勝35敗でプレーオフに進出した。プレーオフでは一回戦にデンバー・ナゲッツを4-2で破り、カンファレンスセミファイナルで強敵サンアントニオ・スパーズに2-4で負けるも、スパーズを追いつめるまでに飛躍した年となった。記録ではカリーが1シーズンの3ポイント成功記録数を272に更新した。また、クレイ・トンプソンも211の成功数を残し、デュオでの記録は483で、1995-96シーズンのオーランド・マジックのデニス・スコットとニック・アンダーソンの記録435を抜き歴代1位となった。この頃から2人は、ゴールネットの跳ねる様を、水面から弾けるしぶきに見立ててスプラッシュ・ブラザーズと呼ばれるようになった。 2013-2014シーズンは、ウェスタン・カンファレンス上位チームへの躍進を目指し、アンドレ・イグダーラ、ジャーメイン・オニール、マリース・スペイツなど、ベテラン、中堅の補強を積極的に行いチームの攻守での多様性を高め臨んだ。この補強が功を奏し、久々の50勝以上の51勝31敗のカンファレンス6位の成績でプレーオフに進み、同じく補強により強さを増してきたロサンゼルス・クリッパーズとの対戦となった。シーズン終盤の怪我でアンドリュー・ボーガットを失ったものの、第7戦までクリッパーズを苦しめたが、名将ドック・リバース率いるクリッパーズに敗れた。直後にマーク・ジャクソンヘッドコーチの解任が決定された。選手からは惜しむ声が上がったが、プレーオフが進む中、5月14日にスティーブ・カーのヘッドコーチ就任が決まった。
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復活の兆し(1980年代)
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「シカゴ・カブス」の記事における「復活の兆し(1980年代)」の解説
1981年、長い間オーナーを務めたリグレー一族は、地元シカゴの新聞社であるトリビューン・コーポレーションにチームを売却。同年オフ、フィラデルフィア・フィリーズの監督を務めていたダラス・グリーン(英語版)をゼネラルマネージャーとして迎えたのが転機となる。グリーンは「Making a New Tradition」(新しい伝統づくり)をスローガンに掲げ、チームに蔓延していたぬるま湯的体質からの脱却のため、1980年にはワールドシリーズ優勝、1983年にもリーグ優勝を果たすなど当時の強豪であったフィリーズとの間のパイプを使い、トレードによる積極的な補強を試みる。 1982年、チームの1番打者であったイバン・デヘスース(英語版)とのトレードで、フィリーズの名遊撃手であったラリー・ボーワとライン・サンドバーグをフィリーズから移籍させた。 1984年にはジム・フライ(英語版)が監督に就任し、シーズン前にはフィリーズとの間のトレードで、1番打者のボブ・ダーニアー(英語版)と中軸打者のゲイリー・マシューズ・シニアを獲得。シーズン途中にはバックナーとボストン・レッドソックスのデニス・エカーズリーをトレード、同じくシーズン途中にはメル・ホール、ジョー・カーターとクリーブランド・インディアンスのリック・サトクリフをトレードするなど補強に励んだ。ダーニアーはこの年45盗塁を記録して足による攻撃を加え、マシューズは強打の3番打者として活躍。サトクリフは16勝1敗という驚異的な成績でサイ・ヤング賞を獲得し、サンドバーグは「20盗塁・20二塁打・20三塁打・20本塁打(20-20-20クラブ)」に後一歩と迫る成績を残した。フィリーズとのパイプで獲得した選手が大半を占めていたことから「シカゴ・フィリーズ」、また1983年に移籍していた主力打者の一人であるロン・セイとサトクリフはドジャース出身だったことから「シカゴ・ドジャース」と嘲笑されるも、サトクリフとサンドバーグの2人を中心にチームも快進撃を続け、この年には初の地区優勝を果たす。この年大ヒットした映画「ゴーストバスターズ」をもじった「カブバスターズ」は当時の流行語となった。リーグチャンピオンシップシリーズではサンディエゴ・パドレスと対戦。第1戦、第2戦と2連勝し、リーグ優勝に王手をかけるが、その後2連敗で決着は最終戦に持ち込まれた。迎えた最終戦では6回まで3対0とリードしていたが、7回に一塁を守っていたレオン・ダーラムがエラーを犯し、逆転負けを喫した。 その後4年間、再びチームは足踏みを続ける。1987年にはモントリオール・エクスポズ(現:ワシントン・ナショナルズ)からアンドレ・ドーソンが移籍し、49本塁打・137打点を記録したが、チームは最下位となった。ドーソンは二冠王に輝き、異例の最下位チームからのMVP選出となった。 1988年にはドン・ジマーが監督に就任し、グレッグ・マダックス、マーク・グレースら若手選手が台頭。 1989年には再び地区優勝を果たした。NLCSでジャイアンツと対戦。本拠地リグレー・フィールドでの初戦は敗れたものの、第2戦で勝利し、1勝1敗で敵地キャンドルスティック・パークに乗り込んだ。しかし結果は全て僅差で敗れ、3連敗。またしてもリーグ優勝はならなかった。
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