ウラジミール・ラドマノビッチとは? わかりやすく解説

ウラジミール・ラドマノビッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/09 23:01 UTC 版)

ウラジミール・ラドマノビッチ
Vladimir Radmanovic
現役時代 (ゴールデンステート・ウォリアーズ) のラドマノヴィッチ (2011年)
引退
ポジション SF/PF
基本情報
愛称 Radman
セルビア語 Владимир Радмановић
国籍 セルビア
生年月日 (1980-11-19) 1980年11月19日(43歳)
出身地 ユーゴスラビア
ボスニア・ヘルツェゴビナ トレビニェ
身長(現役時) 208cm (6 ft 10 in)
体重(現役時) 106kg (234 lb)
キャリア情報
出身 レッドスター・ベオグラード
ドラフト 2001年 12位
選手経歴
1997-2001
2001
2001-2006
2006
2006-2009
2009
2009-2011
2011-2012
2012-2013
レッドスター・ベオグラード
ジェレズニク・ベオグラード
シアトル・スーパーソニックス
ロサンゼルス・クリッパーズ
ロサンゼルス・レイカーズ
シャーロット・ボブキャッツ
ゴールデンステート・ウォリアーズ
アトランタ・ホークス
シカゴ・ブルズ
Stats  Basketball-Reference.com
Stats  NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
代表歴
キャップ 2002年
2004年-2005年
獲得メダル
男子バスケットボール
ユーゴスラビア
世界選手権
2002 インディアナポリス 男子

ヴラディミル・ラドマノヴィッチセルビア語: Владимир Радмановић,英語: Vladimir Radmanović1980年11月19日 - )は、セルビアのプロバスケットボール選手。元NBA選手。ユーゴスラビア連邦ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国トレビニェ出身。ポジションは主にスモールフォワード

略歴

セルビア人の血統である彼はユーゴスラビアボスニア・ヘルツェゴビナトレビニェ地方の街トレビニェで生まれ、その後地方を転々としながら育った。NBA入り前は、現セルビアのベオグラード等のクラブチームで力をつけて行った。

シアトル・スーパーソニックス

2001年のNBAドラフトにおいてシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)より全体12位指名でNBA入りを果たした。3年目の2003-04シーズンには12得点と5.3リバウンドと飛躍し、NBAシックスマン賞の候補にも名前が挙がった。ソニックスには5シーズン在籍し、ベンチスタートから3ポイントシューターとして好成績を残した。チームは6年4200万ドルの長期契約を求めたが、ラドマノビッチがこれを拒否し1年契約の後にFAになることを選択した。理由は控えメンバーであったため。

ロサンゼルス・クリッパーズ

2006年2月クリス・ウィルコックスとのトレードでロサンゼルス・クリッパーズへ移籍。3ポイント成功率41.8%に加え5.7リバウンドと及第点の成績を残した。しかし、その後クリッパーズとは契約延長せず半シーズンのみの在籍であった。

ロサンゼルス・レイカーズ

2006年オフシーズン、FAとなりロサンゼルス・レイカーズとミッドレベルの上限額で契約。トライアングルオフェンスにおけるシューターの役割を果たす彼はフィル・ジャクソンのお気に入りの選手でもあり、近年は先発出場も多くなっている。

2007年2月18日、レイカーズからラドマノビッチがオールスターブレイク中にユタ州パークシティで氷の上で転倒したことにより右肩を脱臼し、全治2か月の怪我を負ったことが発表された[1]。しかし2月23日に実際には契約で禁止されていたスノーボードによって負傷したことが発覚[2]3月1日にレイカーズはラドマノビッチに対し、年俸の10分の1にあたる50万ドルの罰金処分を科した[3]

2008年にはNBAファイナルに進出。ボストン・セルティックスポール・ピアースとのマッチアップではディフェンスでファウルトラブルに陥り、満足な仕事ができないまま敗退した。2008-09シーズン、レイカーズにはスモールフォワードの同ポジションにラマー・オドムトレバー・アリーザルーク・ウォルトンなどとポジションを争った。

シャーロット・ボブキャッツ

2009年2月7日にアダム・モリソンシャノン・ブラウンとの交換トレードでシャーロット・ボブキャッツへ移籍した[4]

ゴールデンステート・ウォリアーズ

2009年11月16日、ラジャ・ベルと共にスティーブン・ジャクソンエイシー・ローとのトレードでゴールデンステート・ウォリアーズへ移籍した[5]

アトランタ・ホークス

2011年12月9日、アトランタ・ホークスと1年契約を結んだ[6]。 12月26日の試合では27分間の出場で17得点、4スティール、5アシストの活躍を見せた[7]

シカゴ・ブルズ

2012年7月14日、シカゴ・ブルズに移籍。シーズン終了後に引退を表明した。

脚注

  1. ^ LAKERS FORWARD VLADIMIR RADMANOVIC SUFFERS SEPARATED SHOULDER”. Lakers.com (2007年2月18日). 2008年11月9日閲覧。
  2. ^ Radmanovic says he lied about shoulder injury”. AP通信 (2007年2月23日). 2008年11月9日閲覧。
  3. ^ Radmanovic fined by Lakers for lying about injury”. ESPN (2007年3月2日). 2008年11月9日閲覧。
  4. ^ Lakers swap Radmanovic for Morrison”. ESPN (2009年2月7日). 2009年2月8日閲覧。
  5. ^ Warriors trade Jackson to Bobcats”. ESPN (2009年11月17日). 2012年6月24日閲覧。
  6. ^ HAWKS SIGN VLADIMIR RADMANOVIC”. nba.com (2011年12月9日). 2012年6月24日閲覧。
  7. ^ Philip De Guzman (2012年1月9日). “Fantasy Basketball: 5 Must-Adds for Week 3”. bleacherreport.com. 2012年6月24日閲覧。

関連項目

脚注





固有名詞の分類

ロサンゼルス・レイカーズの選手 スペンサー・ヘイウッド  ドン・ネルソン  ウラジミール・ラドマノビッチ  デビン・イーバンクス  レイ・フェリックス
ゴールデンステート・ウォリアーズの選手 アドナル・フォイル  ジェイソン・リチャードソン  ウラジミール・ラドマノビッチ  マイキー・ムーア  ジョシュ・パウエル
シアトル・スーパーソニックスの選手 ジェフ・グリーン  スペンサー・ヘイウッド  ウラジミール・ラドマノビッチ  マイキー・ムーア  シャルーナス・マルチルリョーニス
ロサンゼルス・クリッパーズの選手 メルヴィン・イーライ  マット・バーンズ  ウラジミール・ラドマノビッチ  マーカス・キャンビー  マイキー・ムーア
シャーロット・ボブキャッツの選手 マット・キャロル  ジェイソン・リチャードソン  ウラジミール・ラドマノビッチ  タイソン・チャンドラー  プリモス・ブレゼッチ
ユーゴスラビアのバスケットボール選手 ザーコ・チャバーカパ  ドラゼン・ペトロビッチ  ウラジミール・ラドマノビッチ  デヤン・ボディロガ  ゾラン・プラニニッチ
セルビアのバスケットボール選手 ネマニャ・ビエリツァ  プレドラグ・ストヤコヴィッチ  タディヤ・ドラギチェビッチ  ウラジミール・ラドマノビッチ  デヤン・ボディロガ
セルビア・モンテネグロのバスケットボール選手 プレドラグ・ストヤコヴィッチ  タディヤ・ドラギチェビッチ  ザーコ・チャバーカパ  ウラジミール・ラドマノビッチ  デヤン・ボディロガ

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