復活の1930年代
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「シンシナティ・レッズ」の記事における「復活の1930年代」の解説
その後ブラックソックス事件を引きずることとなったレッズは再び優勝から遠ざかることとなる。1920年代に入ってしばらくは安定した戦いぶりをみせるが、1930年代に入るとチームの低迷もいっそう深刻なものとなった。1931年から1934年まで4年連続で最下位に沈み、1934年にはチームワーストとなるシーズン99敗を記録してしまう。そんな中、1935年5月14日には、本拠地クロスリー・フィールドでMLB初のナイトゲームを行っている。当時この出来事は話題を呼び、大恐慌の煽りを受けて、観客減に悩まされていたMLBの人気を取り戻すきっかけとなった。 チーム復活のきっかけとなったのは、1937年に、後のナ・リーグ会長となるウォーレン・ジャイルズがゼネラルマネージャーとしてレッズの経営に参加したことであろう。ジャイルズのチーム作りは翌年から成果を上げ始め、1938年にビル・マケシュニーを監督に招聘すると、この年にはジョニー・ヴァンダー・ミーアがMLB史上唯一となる2試合連続ノーヒットノーランを達成、捕手のアーニー・ロンバルディが打率.342で首位打者に輝き、チームも10年ぶりに勝率5割に復帰した。1939年にはバッキー・ウォルターズ、ポール・デリンジャーの両エースがそれぞれ27勝、25勝をあげると、フランク・マコーミックも128打点で打点王に輝く活躍をみせ、1919年以来となる2度目のリーグ優勝を果たす。翌1940年には球団史上初めてシーズン100勝を達成してのリーグ2連覇。2位ブルックリン・ドジャース(現:ロサンゼルス・ドジャース)とは12ゲーム差という圧倒的な成績だった。ワールドシリーズではデトロイト・タイガースと対戦。最終戦までもつれ込んだ末にタイガースを下し、2度目のワールドチャンピオンに輝いた。この間1938年にはロンバルディ、1939年にはウォルターズ、1940年にはマコーミックと3年連続でレッズの選手がMVPを獲得し、リーグ屈指の戦力を誇った。
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