復活と混乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/19 09:35 UTC 版)
1999年、若かりし頃バイクに熱中していたイタリア出版界の大物であるラストラ社のロベルト・ジレッティ(Roberto Ziletti)は、ボゼッリ兄弟の親族からFBモンディアルの権利を買い取り、高名なバイクメーカーを所有する夢を叶えた。彼は2000年、ホンダ・VTR1000 SP-1/2のエンジン融通を受けた『ピエガ』(Piega)を発表した。基本的にエンジン単体等での他社への供給をしないホンダも、かつて自社のGPマシン開発のためにFBモンディアルのマシンを譲り受けた前述の経緯から協力的だったと言われている。 父の死去に伴いロベルトがラストラ社を継ぎ、PS版など印刷機材事業を三菱化学から譲渡を受けると、FBモンディアルにかまけていられなくなってしまった。既に1100万ユーロ以上を同事業に注ぎこんでいたが、これをスイスの企業に運営委託させようとして失敗し、2004年7月にはアルコレの工場は35台の『ピエガ』とともにモンツァの破産裁判所に差し押さえられた。 アメリカ合衆国のアンドリュー・ライトは、2005年2月28日に裁判所を通じてFBモンディアル買収に動いていたとインタビューで答えたが、7月27日には別の買手が落札した。アンドリューは異議を申し立てが、当の本人が密輸・詐欺などの容疑で有罪宣告を受け、2006年12月に逃亡するなどFBモンディアルの権利を巡る状況は混沌としている。
※この「復活と混乱」の解説は、「FBモンディアル」の解説の一部です。
「復活と混乱」を含む「FBモンディアル」の記事については、「FBモンディアル」の概要を参照ください。
- 復活と混乱のページへのリンク