復活にむけて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 16:34 UTC 版)
琉球競馬の大会は1943年を最後に太平洋戦争で伝統が途絶え、歴史資料などにおいて語り継がれていた昔の伝統文化だった。 21世紀になり、琉球競馬を知る地元民らが開催を要望し、動物園「沖縄こどもの国」(沖縄市)が2010年から聞き取り調査を行い、沖縄市が伝統文化推進観光事業として経費の一部を補助したことや、出走馬の確保ができたことで、2013年に70年ぶりの大会の復活となった。 2013年3月2日に「沖縄こどもの国」の園内広場「水と緑の広場」特設会場で、琉球競馬の大会は開催され復活した。競技は芝の上の往復100mのコースで行われ「側対歩」によるスピードを競った。「側対歩」ではなく、駆け足になった場合は減点、駆け足4回で失格となるルールを用いた。 大会は、動物園で飼育されている与那国馬(ヨナグニウマ)を中心に、園の済州馬(サイシュウバ)やポニー、沖縄県内乗馬愛好家の愛馬など計19頭で行われた。昔同様に馬が飾られ、騎手も伝統工芸の織物「知花花織」(ちばなはなおり)の羽織と袴(はかま)を着用し騎乗した乗り手もあった。ある馬は赤い飾りをつけられ、ある騎手は頭に青い手拭いをかぶり、手には鞭を持ち、沖縄の伝統衣装を着て、足元は足袋という伝統的ないでたちだった。 戦前の琉球競馬をよく見たことがある93歳の男性が特別審査員で参加し、戦前の最後のレースを見たという88歳の男性も見物した。 300人の観客は興味津々だったとされ、小柄な沖縄在来馬への感想として、観客から「かわいい」との歓声があった。「ウマハラセーは人間として家畜の共存を示し、生活から派生した貴重な伝統文化だ」と話し、琉球競馬の復活と定着を目指している沖縄こどもの国の比嘉源和園長は「馬の足さばきなど、本来にはほど遠い」と練習不足を指摘。「より再現できるよう努力したい」と完全復活に向けて一歩一歩進むことを誓った。優勝したのは沖縄アミークス馬術部所属のポニー「ブラウニー」(オス)だった。 同年3月10日にも大会2日目が開かれ、在来種、西洋種、中間種の24頭が参加し、準決勝に残った4頭のうち、3頭を体格が小さな沖縄在来種が占めた。優勝は、沖縄こどもの国が飼育する与那国馬の「どぅなん」(2007年産オス)であった。「どぅなん」は黄色い飾りをつけ、騎手は「知花花織」だった。
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