メル・ホールとは? わかりやすく解説

メル・ホール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/24 22:19 UTC 版)

メル・ホール
Mel Hall
クリーブランド・インディアンス時代
(1985年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州ウェイン郡
生年月日 (1960-09-16) 1960年9月16日(64歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手指名打者
プロ入り 1978年 MLBドラフト2巡目
初出場 MLB / 1981年9月3日
NPB / 1993年4月10日
最終出場 MLB / 1996年5月21日
NPB / 1995年6月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

メルビン・ホール・ジュニアMelvin Hall Jr. , 1960年9月16日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ウェイン郡出身の元プロ野球選手外野手)。

経歴

1978年MLBドラフト2巡目でシカゴ・カブスに指名され契約、1981年9月3日にメジャーデビュー。1984年クリーブランド・インディアンス1989年ニューヨーク・ヤンキースと渡り歩いた。メジャーでは主に4番打者として活躍した。

1993年、当時2年連続最下位に低迷していた千葉ロッテマリーンズに推定年俸2億2000万円という破格の待遇で入団。4番打者として活躍し、チーム四冠王(打率、本塁打、打点、盗塁[1])で、OPSはリーグ1位であった。守備が上手くないため、試合には全て指名打者で出場していた(翌年に外野手1試合)。

1994年は成績を落とし、オフに就任したボビー・バレンタイン監督から戦力外を言い渡されて退団し、中日ドラゴンズに移籍。中日では主に左翼手として出場した(外野手44試合、一塁手6試合)。本拠地であった狭いナゴヤ球場での本塁打量産が期待されたが、両膝の故障による不振のため1995年の1シーズン限りで退団となった。中日時代のホールは守備時もヘルメット(耳当てがないタイプ)を着用して守備に就いていた。

1996年サンフランシスコ・ジャイアンツでメジャー復帰を果たした。2002年から2003年まではアメリカ独立リーグセントラルリーグにてプレー。2002年はフォートワース・キャッツおよびスプリングフィールド・オザークマウンテンダックスで、2003年はコースタルベンド・エイビエーターズでプレーし、2003年限りで現役を引退した。

2007年6月、ホールはバスケットボールのコーチをしていた1998年1999年当時の教え子である未成年の女子2人(当時12歳と14歳)に対するわいせつ行為により逮捕された。その後の裁判にて、児童に対する3件の強姦罪と別の児童に対する2件の猥褻罪で有罪判決を受け、2009年6月に禁錮45年の刑を命じられた[2][3]

人物

実力者ではあったものの、メジャーリーグでは一度もシーズン20本塁打や100打点に到達したことはなく、目立った実績を残すことはできなかった。また、守備・走塁にも難があったためスターと呼べるほどの選手ではなかったが、本人はスター然とした傲慢な態度を取っていた。そして、その素行や人柄の悪さから数多くの問題を起こした[4]

1989年から1992年まではニューヨーク・ヤンキースでプレーしたが、その期間のトラブルとしては以下のものがある。

  • 1990年にスタメンから外された際に癇癪を起してクラブハウスで暴れ、監督室のドアを破壊した。その後トレードを志願したが、他球団からの獲得申し入れが皆無だったためヤンキースに残留となった[4]
  • 同じ外野手のチームメイトで若手の有望株だったバーニー・ウィリアムス(1991年メジャー初昇格)を執拗にいじめ[4][5]、度々泣かせていた。最終的にはヤンキースGMジーン・マイケルが、いじめを続けるならば解雇するとホールに通告し、強制的にいじめをやめさせた[5]
  • 1992年のヤンキースのオールドタイマーズ・デー英語版で、ホールは式典に参加した球団OBを指さして「あの糞ジジイ共は誰だ?(Who are these old fucking guys?)」と大声で侮辱し、チームメイトや監督のバック・ショーウォルターを呆れさせた[4]

ヤンキースとの契約最終年であった1992年シーズンは出場試合数(152試合)、安打数(163)、打点(81)で自己最高の成績を残したが、ヤンキースも他のMLB球団もトラブルメーカーのホールと新たな契約を結ぼうとはしなかった[4]。そのため日本に働き場を求め、同年オフに千葉ロッテマリーンズと契約を結んだ。

1994年はロッテでプレーするが、ここでもヤンキース時代のチームメイトだったヘンスリー・ミューレンスに実績の違い[6]を理由に使い走りをさせたり、ロッカーを荒らしたり殴ったりするなどのいじめを行っていた。監督の八木沢荘六からも2度にわたって厳しく注意されていたが、全く改善されずエスカレートするばかりだった。ミューレンはこの件に関し「ホールは嫌な奴だった。二度と思い出したくない」と後に語っている[要出典]。結局、1994年限りで2人ともロッテを退団している[7]また、チームが練習を続ける中で自身は早々と終わらせてマッサージを受ける、試合中にもかかわらず無断でベンチ裏に家族を呼ぶ、他のチームメイトを強くつねって回るなどの問題行為を繰り返した。さらに、いくら活躍しても客が入らず勝てないロッテに苛立ち、強豪である読売ジャイアンツに密かに売り込んでいた。[要出典]

ロッテ時代のチームメイトの愛甲猛は著書で「史上最低の野球選手」という題でホールを酷評し、「ロッテ時代は指名打者としての出場がメインだったので、自分の打席が終わると、いつも隣の控室でテレビゲームをして遊んでいた。あまりのひどさにチームメイトのマックス・ベナブルとつかみあいのケンカになったこともある」と述べている[8]小宮山悟も「そろそろ俺の出番だろう、みたいな感じで意気揚々と手袋しながらネクストにいく」「そんなやつがチームの中で一番成績を残した。打率もホームランも。はらわた煮えくり返った」と発言しており[9]初芝清も「打撃技術は素晴らしかったが、見習うところは何一つなかった」と語っている。

中日に移籍した1995年は、前年首位打者のアロンゾ・パウエルに対してもミューレン同様に尊大な態度をとっていた。さらに、対ヤクルト戦になると必ずヤクルトベンチに現れ、ヤクルトに移籍していたミューレンに引き続きいじめを行っていた。[要出典]

中日時代のチームメイトの山崎武司は出演したラジオ番組[何の?][いつ?][出典無効]で「自身が見てきた中で一番にダメだった外国人選手」と酷評しており、大リーグの実績を鼻に掛け、頻繁に日本の野球を見下す態度を取り、使用するグローブを座布団の代わりとして尻に敷いていた事だけでなく、先述のミューレンをいじめていた事にも触れて「人としてそれはどうなのか」と述べている。そして先述の猥褻事件により現在は収監中である事を番組関係者から伝えられると、「俺の目は間違っていなかった」と述べると同時に「ホールはあれだけメジャーで活躍し、ロッテでも活躍したのに残念すぎる」と語った。[要出典]

ロッテでの応援歌の原曲はワーナー・ランバート(アダムス)(当時)ののど飴ホールズ」のCMソング(ホールとホールズをかけたもの)であった。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1981 CHC 10 12 11 1 1 0 0 1 4 2 0 0 0 0 1 0 0 4 0 .091 .167 .364 .530
1982 24 88 80 6 21 3 2 0 28 4 0 1 0 1 5 1 2 17 0 .263 .318 .350 .668
1983 112 458 410 60 116 23 5 17 200 56 6 6 1 2 42 6 3 101 4 .283 .352 .488 .840
1984 48 164 150 25 42 11 3 4 71 22 2 1 0 2 12 3 0 23 2 .280 .329 .473 .803
CLE 83 299 257 43 66 13 1 7 102 30 1 1 0 5 35 5 2 55 3 .257 .344 .397 .741
'84計 131 463 407 68 108 24 4 11 173 52 3 2 0 7 47 8 2 78 5 .265 .339 .425 .764
1985 23 75 66 7 21 6 0 0 27 12 0 1 0 1 8 0 0 12 2 .318 .387 .409 .796
1986 140 480 442 68 131 29 2 18 218 77 6 2 0 3 33 8 2 65 8 .296 .346 .493 .839
1987 142 508 485 57 136 21 1 18 213 76 5 4 0 2 20 6 1 68 7 .280 .309 .439 .748
1988 150 553 515 69 144 32 4 6 202 71 7 3 2 8 28 12 0 50 8 .280 .312 .392 .704
1989 NYY 113 391 361 54 94 9 0 17 154 58 0 0 1 8 21 4 0 37 9 .260 .295 .427 .721
1990 113 371 360 41 93 23 2 12 156 46 0 0 0 3 6 2 2 46 7 .258 .272 .433 .706
1991 141 527 492 67 140 23 2 19 224 80 0 1 0 6 26 6 3 40 6 .285 .321 .445 .776
1992 152 622 583 67 163 36 3 15 250 81 4 2 0 9 29 4 1 53 13 .280 .310 .429 .739
1993 ロッテ 129 542 480 71 142 29 1 30 263 92 21 10 0 3 54 5 5 81 10 .296 .371 .548 .919
1994 119 509 459 69 127 29 1 22 224 80 13 8 0 6 42 8 2 84 8 .277 .336 .488 .824
1995 中日 50 191 178 20 42 5 0 12 83 35 2 1 0 4 9 2 0 28 7 .236 .267 .466 .733
1996 SF 25 27 25 3 3 0 0 0 3 5 0 0 0 1 1 0 0 4 0 .120 .148 .120 .268
MLB:13年 1276 4575 4237 568 1171 229 25 134 1852 620 31 22 4 51 267 57 16 575 69 .276 .318 .437 .755
NPB:3年 298 1242 1117 160 311 63 2 64 570 207 36 19 0 13 105 15 7 193 25 .278 .341 .510 .851

表彰

NPB

記録

NPB

背番号

  • 32 (1981年)
  • 27 (1982年 - 1992年)
  • 23 (1993年 - 1994年)
  • 7 (1995年)
  • 2 (1996年)

脚注

  1. ^ パ・リーグ公式サイトでは指名打者でのシーズン最多盗塁記録として記載されている。参照(記録メモ(個人打者編)
  2. ^ https://www.cbsnews.com/news/ex-mlb-player-sentenced-for-raping-minor/
  3. ^ 週現スペシャルプロ野球・Jリーグ・プロレス日本人が愛した助っ人・出稼ぎガイジン選手「あの人はいま」
  4. ^ a b c d e Greg Hanlon (2014年7月15日). “The Many Crimes of Mel Hall: He was a flamboyant player, a charismatic coach, and a sexual predator”. SB Nation. 2014年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月1日閲覧。
  5. ^ a b Ian O'Connor (2015年5月22日). “Bernie Williams a Yankee of uncommon dignity, grace”. ESPN. 2021年10月1日閲覧。
  6. ^ ホールがメジャーのレギュラーだったのに対し、ミューレンはメジャーと3Aを行ったり来たりするレベルだった。
  7. ^ ミューレンはホールと正反対にその人間性を高く買われており、ロッテ退団後に入団したヤクルトで1995年のリーグ優勝・日本一に貢献。引退後もMLBコーチやオランダ代表監督として手腕を発揮し、母国オランダのベアトリックス女王からナイトの称号を賜るなど、ホールとは全く対照的な人生を送っている。
  8. ^ 愛甲猛『愛甲猛のプロ野球ガチンコ観戦ノート』オークラ出版、2010年、144頁。ISBN 9784775515921
  9. ^ 小宮山悟氏が「はらわたが煮えくり返った」助っ人外国人とは…

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類

アメリカ合衆国の野球選手 キース・フォーク  ランス・バークマン  メル・ホール  ジョナサン・パペルボン  デニス・サファーテ
中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手 杉浦清  ディオン・ジェームズ  メル・ホール  横田真之  江島巧
千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手 篠原良昭  大松尚逸  メル・ホール  大村巌  横田真之
ニューヨーク・ヤンキースの選手 ドン・マッティングリー  ランス・バークマン  メル・ホール  フレッド・マークル  スコット・プロクター
クリーブランド・インディアンスの選手 アルバート・ベル  ディオン・ジェームズ  メル・ホール  ジャック・モリス  バディ・ベル
シカゴ・カブスの選手 ベニート・サンティアゴ  マーク・グレース  メル・ホール  ヘンリー・ブランコ  フレディ・バイナム
サンフランシスコ・ジャイアンツの選手 オーレル・ハーシハイザー  キース・フォーク  メル・ホール  フレッド・マークル  ムーンライト・グラハム

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