家格の意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/08 06:00 UTC 版)
家臣の忠誠の対象は藩主であるから、家格に上下の開きがあっても役目柄でなければ家臣間に命令・服従の関係はない。家格の違いがもつ意義は、家臣が集まったときの席次に表れた。江戸時代に席次は社会秩序そのものであり、人々は序列の中のどこに自分が位置するかを非常に重要視していた。仙台藩でも、寛文7年(1667年)に席次の冷遇が紛糾し、家臣の伊東重孝が死罪になる事件が起きている。 席次を制度化したものは役列と呼ばれ、家格と役職を混ぜて並べたものである。家格が高くて席次が上に出る人もいれば、役職が高くて席次が上がる人もいる。後継ぎとなる家督、次男以下は当主より席次が下がる。それがどの程度上下するかを明示したのが役列である。仙台藩の役列では、一門、一家、準一家、一族の当主は、藩政の頂点に立つ奉行より上とされた。 家格は藩政の役職任命の基準でもあった。一門・準一家を要職から遠ざけ、藩政の中枢には、一家・一族と着座の家臣を据えるのが大きな原則であった。実際の任用例から推定すると、役職への任命で家格の高下も考慮されたように見受けられるが、基準としては知行高のほうが重要であったという。低い家格の家臣を抜擢し、家格をそれにあわせて引き上げてやることはよくあった。 また、知行高や拝領屋敷の形態と家格には緩い関係しかない。家格が高ければ知行高が高いし、要害を任されることも多かったが、その対応は大雑把なものでしかなかった。
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