極東旅行と写真
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 06:37 UTC 版)
エコール・ポリテクニークを卒業したジャン・コルペは、家業継承前に、母ファニーからの資金提供を受け、極東への大旅行を1909年に行なうこととなった。 コルペはまずモスクワへ赴き、シベリア鉄道で極東へと向かった。 日本には、ウラジオストクからの海路で6月30日に敦賀港に到着した。以降、関東周辺で東京や江の島、箱根、日光といった観光地のほか、足尾銅山、柏崎の油田、東京砲兵工廠を視察した。日本滞在中のコルペには、フランス大使館のほか、外務次官だった石井菊次郎や、陸軍次官だった石本新六らが便宜を図っていたという。コルペは、東京のフランス大使館で開催されたフランス革命記念日の宴席で、東郷平八郎にも会っており、その印象を「偉大な戦士には見えなかった」と書き送っている。その後、京都の桂離宮や、高野山などを観光した後、銅の製錬所で知られていた四阪島、長崎や三池炭坑、八幡製鉄所などを訪れ、8月12日に下関から、大韓帝国の釜山へと出国した。この間、日本では134点の写真が撮影された。 以降、韓国、中国、フランス領インドシナ、シンガポール、セイロン島、インド、アデン、スエズ運河沿いのポートサイドを経て、帰国した。 総数で936点に及んだ旅行中に撮影された写真は、20世紀初頭の極東アジアにおける産業の記録として、また、当時の富裕層の子弟が経験したグラン・ツールの記録として貴重なものとされている。
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