極東煉乳とは? わかりやすく解説

極東煉乳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:45 UTC 版)

明治乳業」の記事における「極東煉乳」の解説

極東煉乳株式会社としての発足1917年大正6年)であるが、そのルーツ一つとして日本煉乳製造業先駆者となった花島煉乳場がある。極東煉乳は大正から昭和にかけて、明治森永と並ぶ三大会社の一角とされた企業であった:77製品三井物産販売委託され:77、その販路海外にまで広がっていた。明治極東工場は、ほぼ同一地域重複して展開していた:771885年明治18年) - 静岡県三島実業家花島右衛門、南才塚現在の南二日町)に牧場「豊牧舎」を開く。 1886年明治19年) - 花島煉乳設立:76余った牛乳活用法として煉乳生産取り組む1895年明治28年) - 煉乳博覧会有功二等受賞その後さらに改良重ね金鵄ミルク」の商品名販売初期国産煉乳代表的ブランドとなった。「金鵄印」のネーミングには、代表的な輸入煉乳の「印」(Eagle Brand)に対抗する味があるという。 1917年大正6年12月21日 - 極東煉乳株式会社設立資本金150万円本社京橋区槙町取締役社長馬越恭平専務取締役橋本信次郎就任した静岡県三島花島煉乳場と、北海道札幌札幌練乳場が合同三井資本参加した。極東煉乳は花島煉乳場の「金鵄印」の商標引き継いだ1918年大正7年3月 - 軽川農場買収:76極東農場本部を置く。軽川駅現在の手稲駅前付近。「興農園」の経営譲り受け第一農場設けられた。 1923年大正12年7月 - 十勝工場設立1929年昭和4年4月 - 江別工場開設1929年昭和4年) - この年ネッスルネスレ)との合同問題となるも破談1934年昭和9年4月1日 - 昭和煉乳株式会社設立極東煉乳は不況により業績悪化しており、花島煉乳場をルーツとする極東煉乳三島工場は、同じ三島拠点を置く森永煉乳売却された。極東煉乳三島工場森永煉乳三島工場統合され新会社昭和煉乳株式会社」が設立された(社長松崎半三郎)。昭和煉乳株式会社その後森永三島煉乳株式会社改名し最終的に森永乳業吸収され1934年昭和9年10月2日 - 江別工場土地・施設・受乳森永煉乳譲渡森永煉乳はこれを北海道製酪販売組合連合会(のちの雪印)に譲渡1935年昭和10年12月 - 極東煉乳・明治製菓資本提携:77明治製糖株式過半数引き受け明治製菓委任経営:77製品明治商事販売されることとなった:77

※この「極東煉乳」の解説は、「明治乳業」の解説の一部です。
「極東煉乳」を含む「明治乳業」の記事については、「明治乳業」の概要を参照ください。

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