極東煉乳
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極東煉乳株式会社としての発足は1917年(大正6年)であるが、そのルーツの一つとして日本の煉乳製造業の先駆者となった花島煉乳場がある。極東煉乳は大正から昭和にかけて、明治・森永と並ぶ三大会社の一角とされた企業であった:77。製品は三井物産に販売委託され:77、その販路は海外にまで広がっていた。明治と極東の工場は、ほぼ同一地域に重複して展開していた:77。 1885年(明治18年) - 静岡県三島の実業家花島兵右衛門、南才塚(現在の南二日町)に牧場「豊牧舎」を開く。 1886年(明治19年) - 花島煉乳場設立:76。余った牛乳の活用法として煉乳の生産に取り組む。 1895年(明治28年) - 煉乳が博覧会で有功二等を受賞その後さらに改良を重ね「金鵄ミルク」の商品名で販売、初期の国産煉乳の代表的ブランドとなった。「金鵄印」のネーミングには、代表的な輸入煉乳の「鷲印」(Eagle Brand)に対抗する意味があるという。 1917年(大正6年)12月21日 - 極東煉乳株式会社設立(資本金150万円、本社:京橋区南槙町)取締役社長に馬越恭平、専務取締役に橋本信次郎が就任した。 静岡県三島の花島煉乳場と、北海道札幌の札幌練乳場が合同、三井が資本参加した。極東煉乳は花島煉乳場の「金鵄印」の商標を引き継いだ。 1918年(大正7年)3月 - 軽川農場を買収:76、極東農場本部を置く。軽川駅(現在の手稲駅)前付近。「興農園」の経営を譲り受け、第一農場が設けられた。 1923年(大正12年)7月 - 十勝工場設立。 1929年(昭和4年)4月 - 江別工場開設。 1929年(昭和4年) - この年、ネッスル(ネスレ)との合同が問題となるも破談。 1934年(昭和9年)4月1日 - 昭和煉乳株式会社設立極東煉乳は不況により業績が悪化しており、花島煉乳場をルーツとする極東煉乳三島工場は、同じ三島に拠点を置く森永煉乳に売却された。極東煉乳三島工場と森永煉乳三島工場は統合され新会社「昭和煉乳株式会社」が設立された(社長は松崎半三郎)。昭和煉乳株式会社はその後、森永三島煉乳株式会社と改名し、最終的に森永乳業に吸収された 1934年(昭和9年)10月2日 - 江別工場の土地・施設・受乳権を森永煉乳に譲渡、森永煉乳はこれを北海道製酪販売組合連合会(のちの雪印)に譲渡。 1935年(昭和10年)12月 - 極東煉乳・明治製菓が資本提携:77。明治製糖が株式の過半数を引き受け、明治製菓が委任経営:77。製品は明治商事で販売されることとなった:77。
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