東京菓子→明治製菓
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1916年(大正5年)10月9日 - 東京菓子株式会社設立(本社:東京市日本橋区小網町)。 1917年(大正6年)3月 - 東京菓子が明治製糖の傘下となる。形式の上では、明治製糖の製菓部門の子会社であった「大正製菓株式会社」(1916年(大正5年)設立)を東京製菓が買収した。 1920年(大正9年)12月1日 - 房総煉乳を合併。房総煉乳の製乳事業は、東京菓子株式会社製乳部:14(煉乳部 とも)となる。 1921年(大正10年)4月 - 煉乳「明治メリーミルク」発売。 1923年(大正12年) - 育児用の粉ミルク「パトローゲン」発売。「パトローゲン」は糧食研究会の鈴木梅太郎が大正11年(1922年)頃に完成させたもので、当初は糧食研究会が製造にあたっていた。1932年(昭和7年)8月に「パトローゲン」の製造販売権が明治製菓に譲渡され、滝田工場で生産した:16。 1924年(大正13年)9月1日 - 明治製菓株式会社に商号変更。 1924年(大正13年)4月 - アイスクリームの製造開始:16。京橋区南鍛冶町に仮工場を設け製造試売開始:16。 1927年(昭和2年) - 両国工場(本所区亀沢町)開設:16-17。7月落成、10月1日操業開始。アイスクリーム・洋風生菓子・清涼飲料水の製造、および勝山工場から輸送される市乳処理(1927年施行の東京府の取締規則により、低温殺菌が義務付けられた)を行った:17。以後事業拡大とともに数次にわたり工場を拡張した:17。 1928年(昭和3年)10月 - 瓶詰「明治牛乳」を発売:17。 1932年(昭和7年) - 両国工場で「明治バター」「明治チーズ」を本格生産。 1933年(昭和8年)12月19日 - 共同国産煉乳株式会社設立。前年のネッスル(ネスレ日本も参照)の日本における煉乳製造進出(淡路島の藤井練乳会社買収)に対抗。大日本製乳協会所属の森永煉乳・明治製菓・極東煉乳が共同出資。 1933年(昭和8年)12月 - 明治製菓、大日本乳製品を合併。 1934年(昭和9年)4月 - 「金太郎印明治コナミルク」発売。 1935年(昭和10年)6月 - 大阪市で明治牛乳の発売を開始:22。大阪牛乳購買組合経営の大阪ミルクプラントを買収(明治製菓大阪工場となる):22。 1935年(昭和10年)12月 - 明治製菓・極東煉乳が資本提携。 1939年(昭和14年)8月 - 乳業の関連企業6社(明治製乳・朝日牛乳・明治食品・大島煉乳・共同国産煉乳・明治牛乳)を合併。 1940年(昭和15年)9月 - 東京保証牛乳株式会社を買収。 1940年(昭和15年)12月 - 乳業部門を、兄弟企業である極東煉乳(商号を明治乳業に変更)に委託。 乳業部門以外の沿革については「明治製菓」を参照
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