紅巾の乱とは? わかりやすく解説

こうきん‐の‐らん【紅巾の乱】


紅巾の乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/23 01:44 UTC 版)

紅巾の乱(こうきんのらん、繁体字: 紅巾起義拼音: Hóngjīn Qǐyì1351年 - 1366年)は、中国末の1351年(至正11年)に起こった宗教的農民反乱。


  1. ^ a b c d e f g 伊藤(1986)


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紅巾の乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 22:30 UTC 版)

陳友諒」の記事における「紅巾の乱」の解説

玉沙県漁師陳普才三男として生まれた陳友諒は、読み書きができたことから県の胥吏をしていた。至正10年1350年)に紅巾の乱に呼応して湖北徐寿輝挙兵して天完国の皇帝称すると、その麾下武将倪文俊の簿書掾(書記)となり、次第武将として頭角顕し重用されようになった

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紅巾の乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 02:24 UTC 版)

朱元璋」の記事における「紅巾の乱」の解説

元末の天暦元年1328年)、濠州鍾離現在の安徽省鳳陽県)の貧農末子生まれる。伝承によると母親夢の中で仙人から赤い玉授かって妊娠し、彼が生まれると家全体赤く光り輝き近所の人々火事勘違いして家の周り集まってきたという。従兄弟含めて八番目の子であったため、重八と名づけられた(もしくは排行そのように呼ばれた)。元末の政治混乱に伴い飢饉凶作頻発しており、重八の家族食べるものも無く死した流行病という説もある)。重八だけは皇覚寺という寺に身を寄せ托鉢僧となり、淮河流域勧進の旅を続けながら辛うじて生き延びたが、ほとんど乞食同然の生活であった中国もとより全世界帝王王朝創始者の中で最も悲惨な境遇から身を起こした人物といわれる所以である。全くの庶民から王朝創業した皇帝として劉邦並び称されることもあるが、一応は生活の安定した自作農の家に生まれ育った劉邦に対して朱元璋貧苦格別である。ただし、劉邦読み書きがほとんど出来なかったといわれるが、朱元璋皇覚時代最低限教養は身につけていた。 至正11年1351年)、白蓮教徒集団各地反乱起こし、紅巾の乱が勃発した。この大乱により皇覚寺は焼け落ちてしまった。重八が自分将来占ってみたところ紅巾軍への参加大吉であると出たため、韓林児教祖とする東系紅巾軍一派として濠州挙兵していた郭子興のもとに身を投じたという。朱元璋郭子興の下で頭角現し養女馬氏を妻に貰った。これが後の馬皇后である。 朱元璋郭子興の軍に参加した時、最初間諜間違われ殺されそうになったが、面構え郭子興気に入られて、幕下入ったという逸話がある。他の造反軍がただ食料欲しさ目の前の事しか考えないのに比べ朱元璋先のことを考えた行動をとった。自分出自逆に活かして貧民味方という立場打ち出し、元軍の中の徴兵され農民たちを取り込んで勢力増していった。 この時期、のちに功臣第一となる徐達勇猛知られる常遇春や後の謀臣李善長出会った朱元璋李善長から「乱れた天下治めるのは貴方である。そのためには同じ農民出身劉邦真似をすれば良いと言われた。これ以降朱元璋行動劉邦意識した逸話多くなるこの頃から「呉国公」と称した

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