たきかわ‐じけん〔たきかは‐〕【滝川事件】
読み方:たきかわじけん
《「たきがわじけん」とも》昭和8年(1933)鳩山一郎文相が、京都帝国大学法学部の滝川幸辰(たきかわゆきとき)教授を、その著「刑法読本」や講演内容が赤化思想であるとして罷免した事件。同学部教授団や学生らが抗議運動を起こしたが、当局の弾圧で崩壊した。京大事件。
たきがわ‐じけん〔たきがは‐〕【滝川事件】
読み方:たきがわじけん
滝川事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/27 03:08 UTC 版)
滝川事件(たきがわじけん[1]、たきかわじけん[2])は、1933年(昭和8年)に京都帝国大学で発生した思想弾圧事件。京大事件(きょうだいじけん)とも呼ばれる。
注釈
- ^ トルストイの思想について、「犯罪は国家の組織が悪いから出る」などと説明したものである。
- ^ 後者については妻にだけ適用されることを批判したものである。これは明治天皇の代まで後継者確保のために側室を設けていた過去があり、当時まだ一夫一婦制が明文化されていなかった天皇家にとっては見過ごせない学説であった。
- ^ 農学部評議員でのちに第10・12代同志社総長となる湯浅八郎教授が法学部教授会支持を表明しているのは数少ない例外である。
- ^ 理学博士でのちに立命館大学学長となる。
- ^ 年末には残留組に近かったとされる宮本英脩が復職した。
- ^ このとき文学部の大学院生および学生のグループで活躍したのが中井正一、久野収、花田清輝、高木養根、古谷綱正らである。
- ^ ただし恒藤は戦後に兼任教官として短期間だが在任している。
- ^ これ自体文部省の意に添わないものであった。
- ^ 一方、末川は立命館大学に移り新制初代の学長に就任した。
- ^ すなわち、両名の不退去罪および傷害罪は無罪となった。
- ^ モデルは『世界文化』同人として検挙されたことがあり、戦時期には理化学研究所を中心とする陸軍の原爆開発に関わっていた物理学者の武谷三男であると思われる。
出典
- ^ 山川日本史小辞典
- ^ コトバンク
- ^ 中央大学百年史編集委員会専門委員会 『中央大学百年史』 通史編下巻、2003年、49-52頁
- ^ Marshall (1992).
- ^ 東京堂年鑑編輯部(編) 編『出版年鑑 昭和9年版』東京堂、1934年6月、81頁。全国書誌番号:55007461 。
- ^ Itoh (2003).
- ^ 「昭和8年」『京都帝国大学一覧』京都帝国大学、1933年11月、287頁。全国書誌番号:46082087 。
- ^ 中山 (2008).
- ^ 松尾 (2004).
- ^ 井ヶ田良治・原田久美子「京都府の百年」山川出版社 p180-183
- ^ 『京都大学百年史』 p.377
- ^ 山内 (1976).
滝川事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 03:18 UTC 版)
澤柳事件を経て、京大を含む国内の大学は高度な自治を勝ち取った。しかし1930年代、ナショナリズムが高揚し軍国主義が台頭すると、政府は教育や学術研究を統制するため、学問の自由を担保する大学の自治、その総本山と見なされていた京大を攻撃した。1933年5月、鳩山一郎文相は、京大法学部の瀧川幸辰教授の講演や著書の内容が無政府主義的であるとして、小西重直総長に瀧川の罷免を要求した。法学部と小西総長は要求を拒絶したものの、文部省は瀧川の休職処分を強行した。法学部は澤柳事件に倣い、全教官・全学生が辞職届・退学届を提出するなどして激しく抵抗したが、瀧川の休職は解除されず、小西総長は辞職に追い込まれ、辞職届・退学届もたたき返されてしまった。言論弾圧の対象が、(従来の)マルクス主義的・共産主義的思想から自由主義的・反政府的思想へと拡大された瞬間だった。以降、政府は政権運営に都合の悪い言論・思想への弾圧をエスカレートさせていったが、統制下に置かれた大学に政府の暴走を指摘する自由はもはやなく、抑制を欠いた日本は日中戦争・太平洋戦争へとのめり込んでいった。この事件を基にして戦後、映画『わが青春に悔なし』(黒澤明監督)が製作された。 詳細は「滝川事件」を参照
※この「滝川事件」の解説は、「京都大学」の解説の一部です。
「滝川事件」を含む「京都大学」の記事については、「京都大学」の概要を参照ください。
滝川事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)
滝川事件では京都帝国大学教授滝川幸辰が休職処分になる。この事件は文部省の思想統制の範囲がマルクス主義の枠を越えて、自由主義にまで広がったことを意味する。文部省国民精神文化研究所の伊東延吉が滝川事件について「唯物論とかマルキシズムとか云ふことで問題にしてゐるのではない。その客観主義自体が問題で、あれを進めていくと××否認、××否認になる」(××は原文のまま)と発言したように、文部省は国体否認・国家否認と見なした思想を排除するようになる。文部省は滝川事件を済ませると、その後は一挙に国体に反するとみなした思想や学説を思想統制の対象としていく。
※この「滝川事件」の解説は、「国体」の解説の一部です。
「滝川事件」を含む「国体」の記事については、「国体」の概要を参照ください。
滝川事件と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 滝川事件のページへのリンク