滝川一益軍とは? わかりやすく解説

滝川一益軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 03:52 UTC 版)

婆裟羅2」の記事における「滝川一益軍」の解説

九鬼嘉隆エイ鉄甲船41歳。「海賊大名」の異名を持つ九鬼水軍頭領前作登場した息子隆と瓜二つ容姿をしている。元々は志摩豪族伊勢国北畠家配下だったが、27歳の時、滝川一益仲介信長仕え船手大将として各地転戦。特に毛利水軍との戦いで600艘に対し新造鉄甲船六隻だけで撃破し五千石大名にのし上がった。なお、嘉隆軍旗である「あらは」は荒波意味するが、はるか南の島挨拶アロハ」とは無縁ではないと語っている。 九鬼守隆エイ鉄甲船九鬼嘉隆強化版) 20歳嘉隆息子。海に生まれ、海に育つ生粋海の男。父嘉隆とは意見合わず対立することもあるが、心底では父を尊敬し父のようにありたい心から願う若者である。前作にも登場しているが、本作では容姿が全く違っている。 藤堂高虎竜頭戦闘船) 26歳姉川の戦いにて浅井長政に従って参戦し敗戦経験その後、主を変えながら北は奥羽、南は琉球諸国放浪し見聞広め水軍術を体得21歳時に秀吉の弟の秀長の人柄に惚れ込み出仕。秀長に従って各地転戦しながら築城術政治学など多く学んだ前作でもボスとして登場し本作ではその時乗っていた船の劣化版に乗って戦う。放浪中に知り合い意気投合した池田輝政とは「山賊」、「海賊」と呼び合う仲。 河尻秀隆人型メカ56歳信長の父、信秀の代から織田家仕え譜代家臣黒母衣衆筆頭経て信忠筆頭与力となる。武田家滅亡後甲斐国統治していたが、一揆多発加え信勝存命の噂を知り、その根源を立つため出陣北畠信雄巨大鉄甲船25歳幼名茶筅丸。信長息子伊勢国北畠家養嗣子となるが、養父北畠具教暗殺し北畠家事実上滅亡追い込んだ以後伊勢長島殲滅戦など各地転戦軍功挙げる事によって織田復帰を望む野心多き武将生母地位から兄(形式的には弟)の信孝とは逆に優越感持ち長兄信忠対し強烈なライバル心を燃やす。 滝川一益甲殻変形戦闘機忍) 58歳。甲賀忍者血を引く武将従兄弟にあたる池田恒興推挙40歳信長仕える。信長仕え以前諸国放浪し築城術砲術体得忍術精通している割には権謀術数より、正々堂々とした戦を好みそういう気性から信長信任厚く関東管領任される柴田勝家とは仲が良く機会があるたびに酒を酌み交わしていた。 滝川一益軍の兜首一覧滝川氏滝川利雄 河尻秀長 稲葉一鉄 稲葉貞道 遠藤慶隆 氏家直道 織田信包 木造具政 木造長政 兼松正吉 山口重政 津川義冬 岡田重孝 浅井田宮土方勘兵衛 森久三郎 飯田半兵衛 小笠原貞慶 溝口貞泰 河尻秀隆 藤堂高虎 北畠信雄 九鬼嘉隆or九鬼守隆 滝川一益

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