「第2次滝川事件」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 14:10 UTC 版)
1955年6月、新制京都大学で発生した学生による瀧川幸辰総長への「暴行」事件は、「第2次滝川事件」と称されることがある。この事件は学生自治会である同学会が、当時京大総長に在任(1953 - 57年)していた瀧川に対し創立記念祭行事の開催を求めており、その実施方法を巡る両者の協議が決裂、直後再交渉を求める学生が総長を監禁したため警官隊が導入されたものである。この結果同学会は解散させられ、中心人物と目された学生2名が逮捕起訴された。同年9月に開かれた被告人2名の初公判では、弁護人として先述の佐伯千仭を含む11名の弁護士のほか、田畑茂二郎ら3名の法学部教官が特別弁護人として参加した。瀧川はこの3教官に対し罷免を示唆しつつ公の場で繰り返し非難を行い、結局のところ3人全員が特別弁護人を辞退した。このことは瀧川総長自らがかつての主張を覆し教授会の人事権を否定したものとされ、戦後の瀧川に反動的な人物とのイメージを付け加えることになったという者もいる。公判自体は瀧川自身の監禁に対する証言の曖昧さもあって1959年、大阪高裁での控訴審判決で、被告人2名のうち1名の暴行罪のみが認定されて確定した。
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