国務院副総理
国務院副総理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 16:38 UTC 版)
2008年3月17日に第11期全国人民代表大会第1回会議において国務院副総理と山東省代表(議員)に選出され、商務・金融・市場管理・観光などを担当することとなった。折しも世界恐慌の再来とされる世界金融危機が中国にも打撃を与えていたが、王の主導で中国は金融緩和とともに大規模な財政出動(内需拡大十項措置(英語版))による4兆元の景気刺激策を断行し、中国は世界最速のV字回復を遂げ、王とともに米中戦略経済対話(英語版)の共同議長を務める旧友のヘンリー・ポールソン米財務長官による要請でリーマンショックの景気対策で増発されたアメリカ国債を中国は大量に引受して日本を上回る米国最大の債権国ともなり、当時の世界の国内総生産(GDP)増加の殆どに関連して世界経済を救済したと評された中国はその国際的な影響力を高めた。 アジア金融危機だけでなく、世界金融危機も乗り切った経済手腕が国務院内で高く評価され、王と同じ財政家で温家宝国務院総理の後継者と目されるも危機管理に弱い常務副総理の李克強より総理にふさわしいと言い切る国務院幹部もいたという。元国務院総理の朱鎔基からは「中国共産党随一の経済実務家」と絶賛され、「経済皇帝」と呼ばれた朱鎔基の後継者と待望する向きもあった。ただし、この政策はバブル経済を加速させてバラマキ財政や箱物行政のような無駄な公共投資と地方融資平台による不良債権などの課題も残したと批判する見方もある。 2009年に東京で開催された中日経済ハイレベル対話の共同議長として日本を訪れた。
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