黄華【オウカ】(果樹)
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登録番号 | 第4065号 |
登録年月日 | 1994年 8月 22日 | |
農林水産植物の種類 | ぶどう | |
登録品種の名称及びその読み | 黄華 よみ:オウカ |
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品種登録の有効期限 | 18 年 | |
育成者権の消滅日 | ||
品種登録者の名称 | 大村嘉汎 | |
品種登録者の住所 | 長野県松本市大字惣社361番地1 | |
登録品種の育成をした者の氏名 | 大村嘉汎 | |
登録品種の植物体の特性の概要 | ||
この品種は,「カッタクルガン」に「ヒロハンブルグ」を交配して得られた交雑実生から選抜・育成されたもので,果房は大,果粒が黄白色,短楕円,大粒で,ジベレリン処理により無核化する,育成地(長野県松本市)において9月10日前後に成熟する早生種である。 樹の大きさは大,樹勢は強,熟梢の太さは太である。成葉葉身の形は五角形,裂片数は5片,葉柄裂刻の一般的な形は閉じる,上裂刻の形は僅かに重なる,深さは浅い,葉の大きさは中,成葉上面の色はやや淡緑,下面の色は淡緑,葉柄の色は淡紅,葉柄の主脈に対する長さは中位である。花穂の大きさは大,花性は両性,果房の形は有岐円錐,大きさは大(400g程度),粒着の粗密は中である。果粒の形は短楕円,大きさは大(6g程度),果皮の色は黄白,厚さは中,果皮と果肉の分離性は難である。果肉の色は不着色,肉質は崩壊性,甘味は高(糖度19度程度),酸味は少,香気はマスカット,果汁の多少は少である。種子の有無は有,数は少,形はやや長,大きさは中である。開花期は遅,成熟期は早,育成地(長野県松本市)において9月10日前後,裂果の多少は少,果梗の強さは強,果梗と果粒の分離は中である。 「ナイアガラ」と比較して,果房の大きさが大きいこと,粒着の粗密が粗いこと,肉質が崩壊性であること,甘味が高いこと,香気がマスカットであること等で,「カッタクルガン」と比較して,花性が両性であること,粒着の粗密が密であること,成熟期が早いこと等で,「ヒロハンブルグ」と比較して,果皮の色が黄白であること,成熟期が早いこと等で区別性が認められる。 | ||
登録品種の育成の経過の概要 | ||
この品種は,昭和52年に出願者が自園(長野県松本市)において「カッタクルガン」に「ヒロハンブルグ」を交配し,得られた交雑種子をは種,56年初結実したものから外観・食味で選抜,60年に接ぎ木樹を育成,以後長野県中信農業試験場の協力を得て特性の調査・確認を行って育成を完了したものである。 |
黄華
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/23 19:51 UTC 版)
黄華
黄华
黃華 Huang Hua |
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1978年6月8日
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生年月日 | 1913年1月25日 |
出生地 | ![]() |
没年月日 | 2010年11月24日(97歳没) |
出身校 | 燕京大学(中退) |
所属政党 | ![]() |
配偶者 | 何理良 |
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在任期間 | 1976年12月2日 - 1982年11月19日 |
最高指導者 | 華国鋒 鄧小平 |
黄華 | |
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職業: | 軍人・政治家・外交官 |
各種表記 | |
繁体字: | 黃華 |
簡体字: | 黄华 |
拼音: | Huáng Huá |
和名表記: | こう か |
発音転記: | ホワン ホワ |
黄華(こう か、簡体字:黄华、繁体字:黃華、英語:Huang Hua、ホワン・ホワ、1913年1月25日 - 2010年11月24日)は、中華人民共和国の政治家、外交官。国務院副総理、国務委員、外交部長、第11期から13期まで党中央委員、第13期中央顧問委員会常務委員を務めた。
経歴・人物
1913年1月25日に河北省磁県に誕生した。燕京大学を中退した後に1935年の一二九運動に参加した。1936年に中国共産党に入党する。延安ではエドガー・スノー、アグネス・スメドレーらの通訳を担当する。1941年から朱徳の秘書を務める傍ら外交にも従事する。1946年に葉剣英の秘書となる。1949年、国民党外交部の接収を指揮した。1953年、朝鮮戦争停戦交渉の中国側代表、外交部西ヨーロッパアフリカ局局長となる。1954年の第一次インドシナ戦争の休戦に関するジュネーヴ会議、1955年のバンドン会議に代表団顧問・報道官として出席した。
1960年から1971年までガーナ・エジプト・カナダ大使を歴任した。1971年に中国を訪問したアメリカのヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官との交渉を担当した。国際連合における中華人民共和国の代表権獲得後、中華人民共和国の初代国連大使に就任。1976年に解任された喬冠華に代わって外交部長に就任し、国務委員を兼任する。1978年に日本の園田直外務大臣と日中平和友好条約に調印し、アメリカとの国交正常化も担当した。1978年の鄧小平の日本訪問と1979年のアメリカ訪問に随行した。
1980年に国務院副総理、1983年に第6期全国人民代表大会副委員長に選出される。全人代の代表団を率いて各国を訪問し、1992年には日中国交正常化20周年を記念して団長として再来日した。
2010年11月24日に腎臓病の為に亡くなった[1]。97歳であった。
脚註
- ^ Huang Hua, Former Chinese Foreign Minister, Dies ニューヨーク・タイムズ 2010年11月24日閲覧
外部リンク
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