董必武とは? わかりやすく解説

とう‐ひつぶ【董必武】


トン‐ピーウー【董必武】

読み方:とんぴーうー

とうひつぶ(董必武)


董必武

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/13 03:40 UTC 版)

董必武
董必武の公式写真(新華社より)
生年月日 1886年3月5日
出生地 湖北省黄安県
没年月日 (1975-04-02) 1975年4月2日(89歳没)
死没地 北京市
所属政党 中国共産党

在任期間 1972年2月24日 - 1975年1月17日
党主席 毛沢東

在任期間 1959年4月27日 - 1975年1月17日
国家主席 劉少奇(1959年 ‐ 1968年)
1968年から1975年まで国家主席は空席

第2代最高人民法院院長
在任期間 1954年9月 - 1959年4月
国家主席 毛沢東

政務院副総理
内閣 周恩来内閣
在任期間 1949年10月19日 - 1954年9月27日
政府主席 毛沢東
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董必武
各種表記
繁体字 董必武
簡体字 董必武
拼音 Dóng Bìwú
和名表記: とう ひつぶ
発音転記: ドン・ビーウー
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董 必武(とう ひつぶ、ドン・ビーウー、1886年3月5日 - 1975年4月2日)は、中華人民共和国の政治家。中国共産党の創立メンバーの一人。中華人民共和国副主席1959年 - 1972年)として在職中、文化大革命によって劉少奇中華人民共和国主席を解任されたため、1968年以降、国家主席制が廃止される1975年まで、国家副主席・国家主席代理中国語版1972年 - 1975年)として、国家主席の職務を代行した。

生涯

湖北省黄安県に生まれる。1911年中国同盟会に加入し、辛亥革命に参加。その後2度にわたり日本に留学し日本大学[1]法科にて学ぶ。1921年武漢地区代表として中国共産党第1回党大会(中共一大会議)に参加する。

1949年の中華人民共和国成立後は、政務院副総理、最高人民法院院長、国家副主席、国家主席代理、中国共産党中央監察委員会(現在の中央規律検査委員会)主任、党中央政治局常務委員などを歴任した。

第1回党大会の出席メンバーで、戦後中華人民共和国の幹部として生涯を全うしたのは毛沢東と董の2名のみとされている。1977年に「詩選」が、1986年に生誕100周年の記念切手が出されている。

関連邦語文献

中華人民共和国
先代
宋慶齢
董必武
(副主席として共同職務代行)
国家主席
代理
1972年 - 1975年
次代
李先念
1975年 - 1982年制度廃止
先代
劉少奇
国家主席
国家副主席として職務を代行
1968年 - 1972年
次代
董必武
(国家主席代理)
先代
朱徳
国家副主席
1959年 - 1975年
次代
ウランフ
1975年 - 1982年、制度廃止)
先代
沈鈞儒
最高人民法院院長
1954年 - 1959年
次代
謝覚哉
 中国共産党
先代
朱徳
(中央規律検査委員会書記)
中央監察委員会書記
1955年3月31日 - 1966年8月12日
次代
陳雲
(中央規律検査委員会書記)

脚注

  1. ^ a b 王敏『日本留学と東アジア的「知」の大循環』三和書籍、2014年、356頁。 



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