倭国と漢王朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 12:33 UTC 版)
中国の文献に初めて倭国の記述が見られるようになるのは『漢書』における「地理志」の中である。紀元前1世紀ごろの倭は100国あまりの小国分立の状態であり、朝鮮半島にあった楽浪郡に使者を定期的に派遣して貢物を献上していた。 また『後漢書』における「東夷伝」は、1 - 2世紀ごろの倭の様子を記している。57年に奴国の使者が洛陽に赴いて後漢の初代皇帝である光武帝から印綬を授けられた。それが、江戸時代に志賀島から発見された「漢委奴國王」と刻まれた倭奴国王印だとされる。また、107年には倭の国王である帥升らが160人の奴隷を安帝に献上した。これらは、後漢と冊封関係にあった小国が、九州北部に存在したことを示している。
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