池坊とは? わかりやすく解説

いけのぼう〔いけのバウ〕【池坊】

読み方:いけのぼう

華道池坊流家元の名。


いけのぼう 【池坊】

もと京都六角堂頂法寺坊舎の名で、室町期にここの住僧専慶が、仏前への供花から工夫して立花考え、これが花道池坊流となった聖徳太子水浴した池のほとりに建てられたとの伝説持ち、それで池坊という。紫雲山頂法寺京都市中京区堂之前町にあり単立天台宗)は本堂構造から六角堂呼び聖徳太子開創伝える。諸堂のうち執行所(事務所)を池坊という。この寺には親鸞百日参籠し、聖徳太子夢告受けて法然謁した伝える。西国三十三所一八札所。→ 立花

池坊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/30 18:15 UTC 版)

池坊専好の立花、六角堂、京都市中京区
いけ花発祥の地モニュメント、背景の文書は池防専応口伝の冒頭、六角堂、京都市中京区
池坊専好の立花、六角堂、京都市中京区
聖徳太子沐浴の古跡、池坊の名の由来、六角堂、京都市中京区

池坊(いけのぼう)は、日本の華道家元いけばなの根源。“流”は付かない。最古かつ最大の会員数を誇る。紫雲山頂法寺(京都市中京区、通称六角堂)の住職が家元を兼ねる。池坊の名称は、聖徳太子沐浴した池に由来している。

沿革

頂法寺(六角堂)の寺伝縁起から、同寺が建立されたとされる用明天皇2年(587年)を池坊は創業年としているが、史学的な根拠は無い。そもそも1974年(昭和49年)から翌年にかけて実施された発掘調査の結果、飛鳥時代の遺構は検出されず、六角堂の実際の創建は10世紀後半頃と推定されている。六角堂が史料に現れるのは11世紀初めからである。

聖徳太子の命により小野妹子が入道し仏前に花を供えた。これが華道の由来とされ、妹子の寺坊が池のほとりにあったことから「池坊」と呼ばれたとされている。ただし、頂法寺の縁起類には、聖徳太子が沐浴した池にちなんで寺坊を「池坊」と号したことと、小野妹子を寺主としたことは述べられているが、妹子と華道の関係については述べられていない。小野妹子を華道の道祖とするのは、史料で知られる限りでは近世以降のことである。

池坊といけばなの関連についての文献上の初見は寛正3年(1462年)である。池坊のは、頂法寺(六角堂)の執行(しぎょう)として六角堂の本尊如意輪観音に花を供えることとなっていた。東福寺の僧雲泉太極の日記『碧山日録』の寛正3年2月25日条に、池坊12世池坊専慶が草花数十枝を金瓶に挿し、京都の好事家の評判を呼んだ、とある。この12世専慶が立花(たてばな)の名手として知られ、専慶から池坊としての立花が生じた。天文11年(1542年)には、次代の専応が花伝書『池坊専応口伝』を著して立花の理論と技術を体系化した。専応の後、専栄、専好(初代)専好(二代)によって立花が大成された。江戸時代中期には、立花よりも簡略な生花(しょうか)が成立し、門弟の大幅な増加に繋がった。現在は、自由花(じゆうか)を加え三つの様式がある。

様式

(池坊専慶著『花王襲宿伝書』1486年~1499年)
  • 立花(りっか)
立花英語版(重要文化財『池坊専好立花図』1628年~1635年)
「立花図并砂物」1673年
「大住院立花砂物図」17世紀
  • 立花正風体(りっかしょうふうたい)⇒伝統的な様式。
  • 立花新風体(りっかしんぷうたい)⇒池坊専永が発表。
  • 生花(しょうか)
生花英語版(池坊専定著。四条派の画家、松村景文横山清暉画『挿花百規』1820年)
  • 生花正風体(しょうかしょうふうたい)⇒伝統的な様式。
  • 生花新風体(しょうかしんぷうたい)⇒池坊専永が発表。
  • 自由花(じゆうか)
かつては応用花、投入(なげいれ)、盛花(もりばな)とも称されていた。

江戸時代以降の歴代家元

  • 31世 池坊専好(初代)
  • 32世 池坊専好(二代)
  • 33世 池坊専存
  • 34世 池坊専養
  • 35世 池坊専好(三代)
  • 36世 池坊専純
  • 37世 池坊専意
  • 38世 池坊専純〔再任〕
  • 39世 池坊専弘
  • 40世 池坊専定
  • 41世 池坊専明
  • 42世 池坊専正
  • 43世 池坊専啓(1869-1944) - 油小路隆董の次男[1]、池坊専正の養子(旧名・油小路隆定)[2]
  • 44世 池坊専威(1900-1945) - 油小路隆元の子、池坊専啓の甥で養子(旧名・油小路隆久)[3]
  • 45世 池坊専永(現家元)
  • 46世 池坊専好(池坊初の女性の家元)

池坊 花逍遥(しょうよう)100選プロジェクト

  • 花き産業と花きの文化の振興を目的とした「花きの振興に関する法律」(平成26年法律第102号)が成立し、平成26年12月1日より施行された[4]ことより池坊華道会は、全国の花風景を募集し、応募のあった1200ヶ所より「華道の精神を映している」「未来にのこしたい」の双方の条件を満足する100ヶ所を池坊 花逍遥100選として認定した[5]。今後、花風景を有する自治体などに「認定書」を発行し、池坊のいけばな展で紹介し、地域ブランドづくりを支援する。

関連項目

脚注

  1. ^ 『大衆人事録 近畿篇』(帝国秘密探偵社、1940年)p.8
  2. ^ 『新撰大人名辞典』平凡社, 1937年
  3. ^ 伯爵油小路隆成『現代華族譜要』 維新史料編纂会編、日本史籍協会、1929
  4. ^ 花きの振興に関する法律が成立しました”. 農林水産省. 2015年6月19日閲覧。
  5. ^ 京都「嵯峨野の竹林と紅葉」など池坊花逍遥100選認定”. 産経ニュース産経新聞社. 2015年6月19日閲覧。

外部リンク


池坊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 09:34 UTC 版)

頂法寺」の記事における「池坊」の解説

この寺の本堂である六角堂寺内塔頭で、頂法寺本坊にあたる池坊が執行として代々経営・管理当たってきた。聖徳太子の命により小野妹子入道仏前に花を供えたことが華道由来とされ、その寺坊が池のほとりにあったことから「池坊」と呼ばれている。ただし、前述縁起類には、聖徳太子沐浴した池にちなんで寺坊を「池坊」と号したことと、小野妹子寺主としたことは述べられているが、妹子華道の関係については述べていない。小野妹子華道道祖とするのは、史料知られる限りでは近世以降のことである。 池坊の僧は、頂法寺住持として本尊如意輪観音に花を供えることとなっており、花の生け方に別格妙技見せることで評判となっていたことが15世紀記録残されている。文明年間1469年 - 1486年)に池坊12世専慶が立花たてばな)の名手として知られここから池坊としての立花生じ天文年間1532年 - 1555年)には、池坊13世専応が度々宮中招かれて花を立て、また「池坊専応口伝」を表して立花理論と技術初め総合的に体系化した。 現在は華道家元「池坊」の本部ビル・池坊会館があり、その3階には「いけばな資料館」がある。

※この「池坊」の解説は、「頂法寺」の解説の一部です。
「池坊」を含む「頂法寺」の記事については、「頂法寺」の概要を参照ください。

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