860年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 05:53 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動千年紀: | 1千年紀 |
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世紀: | 8世紀 - 9世紀 - 10世紀 |
十年紀: | 830年代 840年代 850年代 - 860年代 - 870年代 880年代 890年代 |
年: | 860年 861年 862年 863年 864年 865年 866年 867年 868年 869年 |
860年代(はっぴゃくろくじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)860年から869年までの10年間を指す十年紀。
できごと
860年
862年
863年
864年
- 富士山貞観噴火。
- 864年頃 - 第一次ブルガリア帝国のボリス1世がキリスト教に改宗する。
866年
867年
868年
869年
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
860年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 05:17 UTC 版)
詳細は「860年代」を参照 860年行教が清和天皇の命を受けて石清水八幡宮を創建。 ヴァリャーグが東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを攻撃するも撃退される(ルーシ・ビザンツ戦争)。 861年日本で宣明暦が採用される。唐で822年に作成された暦で、1685年の貞享暦への改定まで使用され続ける。 ヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂がベネディクト会士により建立される。 862年伝承ではノルマン人ルス族のリューリクがノブゴロド公国を建国する。ロシア国家のはじまり。 フランドル家のボードゥアン1世が西フランク王シャルル2世の王女ジュディトと結婚し、初代フランドル辺境伯となる。 863年ララカオン川の戦い(英語版)で東ローマ帝国がアッバース朝アミールのウマル・アル=アクタに勝利。 東ローマ帝国のメトディオス、キュリロス(コンスタンティノス)兄弟がスラヴ人に対してキリスト教伝道を開始する。 ローマ教皇ニコラウス1世がコンスタンティノポリス総主教フォティオスを破門にする。「フォティオスの教会分裂」の始まり( - 867年)。 神泉苑にて最初の御霊会が行われる(→869年)。 864年富士山貞観大噴火。側火山である長尾山ほかが形成され、流れ出た青木ヶ原溶岩が樹海のもとをなす。 剗の海が埋没し富士五湖の西湖・精進湖が形成される。 カスピ海南岸にアラヴィー朝(ザイド朝)が成立。 西フランク王シャルル2世によりヴァイキングに対する組織防衛や造幣局に関するピトレ勅令(フランス語版)が出される。 コンクの修道士アリヴィスクスがアジャン教会所蔵の聖女フォワの聖遺物を窃取する( - 875年)。 864年頃第一次ブルガリア帝国のボリス1世がキリスト教に改宗する。 865年デーン人大異教軍がイングランド東部イースト・アングリアに上陸し各地を制圧する。 高岳親王(真如)が天竺行きの途上の羅越国にて死去する。入唐僧宗叡が帰国(入唐八家の最後の帰国)。 866年応天門の変がおこる。応天門放火の罪で大納言伴善男が流罪となる。 日本最初の大師号として最澄に「伝教」、円仁に「慈覚」の号が贈られる。 867年東ローマ帝国でミカエル3世が暗殺されアモリア朝が断絶。政変を起こしたバシレイオス1世が単独皇帝に即位しマケドニア朝が成立。 コンスタンティノポリスのハギア・ソフィア大聖堂アプス半ドームの「玉座の聖母子像」のモザイクが造られる。 イランにサッファール朝が興る。 868年唐で龐勛の乱が起こる。 エジプトにトゥールーン朝が興る。 『熊野年代記』に記録された慶竜による最古の補陀落渡海。 869年第4コンスタンティノポリス公会議による総主教フォティオスの追放( - 870年)。 デーン人大異教軍との戦いでイースト・アングリア王エドマンドが殉教する。 イラクで黒人奴隷が反乱を起こす(ザンジュの乱)。 『続日本後紀』が完成する。『貞観格』が撰進され施行される。 貞観地震発生、陸奥国を大津波が襲う。 疫病を鎮めるため卜部日良麿が神泉苑南端で矛を立て、祇園社の神輿を出し、牛頭天王を祀る御霊会を行う(祇園祭の始まり)。 「石碑11号」に残るティカル最後の王ハサウ・チャン・カウィール2世のマヤ文字の記録の年。
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