220年代
220年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 01:47 UTC 版)
詳細は「220年代」を参照 220年 - 丞相で魏王の曹操が死去。河南省安陽市の西高穴2号墓がその墓とされる。後漢の献帝が禅譲し、曹操の子曹丕が皇帝となり魏を建てる(漢魏革命 - 265年)。 魏で陳羣の献策による九品官人法が導入される。 220年頃ゴート族が東西に分裂。 南インドのサータヴァーハナ朝が滅亡。 221年 - 劉備が蜀(蜀漢)を建てる(- 263年)。劉備による孫権への東征の途上で張飛が横死する。 222年孫権が夷陵の戦いで蜀に勝利し、自立して呉を建てる(- 280年)。三国時代が始まる。 ローマ皇帝ヘリオガバルスが暗殺され、従兄弟のアレクサンデル・セウェルスが皇帝となる。 224年 - ホルミズド平原の戦い(英語版)でペルシアのアルダシール1世がパルティアのアルタバノスに勝利。 226年 - ペルシアのアルダシール1世が「エーラーンの諸王の王(シャーハーン・シャー)」の称号を名乗る(サーサーン朝ペルシアの成立)。 227年 - 蜀の諸葛亮が「出師の表」を奉り、北伐に出陣。 228年 - アレクサンデル帝の近衛長官で法学者でもあったドミティウス・ウルピアヌスが近衛軍団の反乱で暗殺される。 229年 - 大月氏王波調(クシャーナ朝の王ヴァースデーヴァ(英語版))の使者が魏の明帝を訪れる。波調は「親魏大月氏王」に任じられる。 229年頃 - 呉の孫権のもと交州刺史呂岱により朱応が扶南に派遣される(『扶南異物志』)。
※この「220年代」の解説は、「3世紀」の解説の一部です。
「220年代」を含む「3世紀」の記事については、「3世紀」の概要を参照ください。
- 220年代のページへのリンク