910年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/12 03:12 UTC 版)
千年紀: | 1千年紀 |
---|---|
世紀: | 9世紀 - 10世紀 - 11世紀 |
十年紀: | 880年代 890年代 900年代 - 910年代 - 920年代 930年代 940年代 |
年: | 910年 911年 912年 913年 914年 915年 916年 917年 918年 919年 |
910年代(きゅうひゃくじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)910年から919年までの10年間を指す十年紀。
できごと
910年
911年
912年
- 日本、「延喜式」の編集を促進させる。
913年
918年
919年
- ハインリヒ1世がドイツ国王に即位する。
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
910年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 10:18 UTC 版)
詳細は「910年代」を参照 910年フランス中東部ブルゴーニュ地方にクリュニー修道院が設立される。アキテーヌ公ギヨーム1世がベルノー(英語版)に初代修道院長を任命する。 イベリア半島のレオン王国でガルシア1世が即位し領土拡張を開始。 911年東フランク王国でカロリング朝が断絶。フランケン大公コンラート1世が東フランク王に選出され、ドイツ王国フランケン朝(コンラディン家)が成立。 サン=クレール=シュール=エプト条約で、ノルマン人の首長ロロがノルマンディー公国を樹立。 912年 - 『延喜式』の編集を促進させる。 913年東ローマ帝国でコンスタンティノス7世が即位(- 959年)。この文人皇帝は学者を集め、自らも『儀式の書』『帝国統治論』他を執筆し、「マケドニア朝ルネサンス」の中心として活躍。 ブルガリア王シメオン1世がコンスタンティノポリスに入城し皇帝を称す。 914年オルドーニョ2世が即位しオビエドからレオンに遷都(アストゥリアス王国がレオン王国となる)。 三善清行が醍醐天皇に『意見十二箇条』を提出する。 915年 - ガリリャーノ川の戦いで、ローマ教皇とイタリア諸侯(スポレート公など)連合軍がイスラム教徒を撃退。その功績によりイタリア王ベレンガリオ1世が皇帝として認められる。 916年 - ラーシュトラクータ朝インドラ3世の北伐によりプラティハーラ朝の都カナウジが陥落する。 917年 - ドイツの部族大公国としてシュヴァーベン公国が成立する。 918年朝鮮半島で王建が泰封を滅ぼして高麗を建国。 遼の耶律阿保機が上京臨潢府(皇都)を新都に定める。 919年ハインリヒ1世(捕鳥王)が東フランク王に即位し、ドイツ王国ザクセン朝(リウドルフィング家)が成立。 ヴァイキングがフランスのブルターニュ地方ゲランドに上陸する。
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