870年代
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870年代(はっぴゃくななじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)870年から879年までの10年間を指す十年紀。
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870年代
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詳細は「870年代」を参照 870年 - メルセン条約により中部フランクが東西に2分割される。 871年アルフレッドがイングランド王となる( - 899年)。 『貞観式』が撰進され施行される。 873年 - サッファール朝がターヒル朝を倒しホラーサーン地方を獲得。 874年唐の僖宗皇帝が法門寺に仏舎利ほかの宝物を寄進し封印する(法門寺地下宮殿宝物)。 『植民の書』ではノルウェー人首領インゴールヴル・アルナルソンが最初のアイスランド定住したと伝える。 シーア派の第11代イマームのハサン・アスカリーがサーマッラーで死去。十二イマーム派では後継者となった息子のムハンマド・ムンタザルが第12代イマームとなったとされる。 父の葬儀を司式した後そのままムハンマド・ムンタザルは隠れイマーム(ガイバ)となったと伝わる。 875年聖宝が醍醐寺を創建。 唐で黄巣の乱が起こる( - 884年)。 中央アジア最初のイラン系イスラム王朝であるサーマーン朝が興る。サーマーン・フダーの子孫ナスル1世がアッバース朝から支配権を認められ、サマルカンドで自立する。 イタリアにおけるカロリング朝の断絶。 876年清和天皇が譲位し、第57代陽成天皇が即位。 淳和皇后が恒寂(恒貞親王)を開山に迎え大覚寺(旧嵯峨院)が創建される。 アンデルナハの戦いで、東フランク王ルートヴィヒ3世ら三兄弟が西フランク王シャルル2世を撃退。 877年トゥルーン朝がシリアを併合。 キエルジー勅令(フランス語版)により西フランク王シャルル2世が諸侯の官職の世襲を認める。 ロカのヤルルン渓谷を叛徒に占領され吐蕃が滅亡する。 878年エサンドゥーンの戦い(エディントンの戦い)(英語版)で、イングランド王アルフレッドがヴァイキングのデーン人の侵入を撃退。ウェドモーアの和議が結ばれる。 ギフレー1世(カタルーニャ語版)(多毛伯)がバルセロナ伯を世襲化する。 元慶の乱が起こり藤原保則が陸奥の蝦夷平定に派遣される。 広州大虐殺。 879年コンスタンティノポリスの教会会議による総主教フォティオスの復権( - 880年)。 ボソにより下ブルグント王国が独立し、プロヴァンス地方がその版図となる。 クロアティアの独立がローマ教皇ヨハネス8世に認められる。 『日本文徳天皇実録』が完成する。
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