760年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 05:53 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動千年紀: | 1千年紀 |
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世紀: | 7世紀 - 8世紀 - 9世紀 |
十年紀: | 730年代 740年代 750年代 - 760年代 - 770年代 780年代 790年代 |
年: | 760年 761年 762年 763年 764年 765年 766年 767年 768年 769年 |
760年代(ななひゃくろくじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)760年から769年までの10年間を指す十年紀。
できごと
761年
- スペイン、オビエド開基される。
762年
764年
767年
- ブルガリア、空位時代始まる。
768年
- 対立教皇コンスタンティヌス2世即位。
- カールがフランク王に即位する。
769年
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
760年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:03 UTC 版)
詳細は「760年代」を参照 760年 - 揚州大虐殺。 761年 - 史思明が史朝義に殺害される。 761年頃 - カウィール・チャン・キニチがドス・ピラスを放棄し、アグアテカに遷都する。 762年陸奥国国府に多賀城碑が建てられる。淡海三船が歴代天皇の漢風諡号を選定する( - 764年)。 回鶻(ウイグル)の牟羽可汗がマニ教を受容する。 アッバース朝のカリフ・マンスールがハーシミーヤからバグダードに遷都。 唐で玄宗と粛宗が相次いで死去。粛宗の張皇后と宦官李輔国を倒した宦官程元振が実権を握る。 763年回鶻の牟羽可汗が史朝義を自殺に追い込み、安史の乱が終結する。吐蕃が一時的に唐の長安を占領する。 ナポリ公国が東ローマ帝国から自立し、ローマ教皇側に与する。 764年僕固懐恩の乱( - 765年)。 藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)。乱を鎮圧した孝謙上皇が重祚して、第48代称徳天皇となり、淳仁天皇を廃して淡路国に配流とする。 765年道鏡が太政大臣禅師となる。称徳天皇の発願で大和西大寺が創建される。 この年(神護元年)記された木簡に、式部省大学寮で破斯清道という官吏が働いていたことが記される。破斯清道はペルシャ人とする説がある。 シーア派が十二イマーム派(主流派)と七イマーム派(非主流派・イスマーイール派)に分離する。 766年 - 道鏡が法王になる。 767年 - シャイレーンドラ朝軍が北ベトナムの安南都護府を攻撃する。 768年フランク王ピピンが死去、息子のカールとカールマンが共同のフランク王に即位する。 藤原永手が鹿島・香取・枚岡各社の祭神を勧請し春日大社を創建。 宇佐八幡宮神託事件で和気清麻呂が大隅国に流罪となる。 769年 - 称徳天皇への呪詛により異母妹不破内親王が内親王位を剝奪される。
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