シャイレーンドラ朝とは? わかりやすく解説

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シャイレーンドラ朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 09:39 UTC 版)

シャイレーンドラ朝(しゃいれーんどらちょう、英語: Sailendraインドネシア語: Wangsa Sailendra752年? - 832年?)は、8世紀半ばから9世紀前半にかけてジャワ島中部に建てられた王朝。シャイレーンドラはサンスクリット語で「山からの王」「山の王家」[注釈 1]という意味。王家は、サンスクリット語と北インド系の文字を使用し、大乗仏教を信奉した。


注釈

  1. ^ サンスクリットでシャイラは「山」、インドラは「王」「支配者」を意味している。
  2. ^ チャンディとはインドネシアの言葉で「寺院」と翻訳されることが多いが、霊廟なども含んだ、より広い対象を指す言葉である。チャンディ・スヴーは、仏教の女神ターラー(多羅菩薩)を記念している。
  3. ^ チャンパのポ・ナガル寺院の碑文にも外敵の侵入の事実が記録されている。
  4. ^ 碑文には、「シャイレーンドラ王家の出自でシュリーヴィジャヤをも統治するクダの王」が登場する。

出典

  1. ^ 家島彦一訳『中国とインドの諸情報-第二の書』pp48-54



シャイレーンドラ朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:22 UTC 版)

カンボジアの歴史」の記事における「シャイレーンドラ朝」の解説

しかし、ジャヤーヴァルマン1世死後古代カンボジアは、中国記録見える北の陸真臘(現在のラオスチャンパーサック県)と南の真臘分裂し弱体化し8世紀には真臘がシャイレーンドラ朝ジャワ王国支配下入った。シャイレーンドラは、その意味(「山の王家」)から、扶南のプノン(山)と関係があり、シャイレーンドラ朝とシュリーヴィジャヤ王国何らかの意味で、扶南後継者にあたるのではないかとする見方がある。

※この「シャイレーンドラ朝」の解説は、「カンボジアの歴史」の解説の一部です。
「シャイレーンドラ朝」を含む「カンボジアの歴史」の記事については、「カンボジアの歴史」の概要を参照ください。

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