セウ‐じいん〔‐ジヰン〕【セウ寺院】
セウ寺院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/12 17:30 UTC 版)
セウ寺院(セウじいん、チャンディ・セウ、ジャワ語: ꦕꦤ꧀ꦝꦶꦱꦺꦮꦸ, Candhi Sèwu、尼: Candi Sewu)は、インドネシア中部ジャワ州クラテン県プランバナン地区に位置する[2]、8世紀末の大乗仏教(密教[3])寺院である[4]。1991年、プランバナン寺院群として国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(文化遺産)に登録された寺院遺跡の1つであり、プランバナン寺院遺跡公園(尼: Taman Wisata Candi Prambanan、英: Prambanan Archeological Complex Park)[5]の北端にある。セウ寺院はインドネシアの仏教寺院として最大規模のボロブドゥール寺院に次ぐ大きさであり[4]、寺院は、近隣のプランバナン寺院(ロロ・ジョングラン寺院)より以前のものとされる。
- ^ a b c d 小野 (2002)、271-272頁
- ^ a b c Degroot (2009), p. 237
- ^ a b c 伊東 (1992)、90頁
- ^ a b c d e 『インドネシアの事典』 (1991)、253頁
- ^ “プランバナン寺院遺跡公園”. ジャワ島旅行情報サイト. 2020年3月19日閲覧。
- ^ Degroot (2009), p. 291
- ^ a b c d e f g h “Candi Sewu” (インドネシア語). Kepustakaan Candi. Perpustakaan Nasional Republik Indonesia (2014年). 2020年3月22日閲覧。
- ^ “SEAlang Library Javanese”. sealang.net. 2020年3月19日閲覧。
- ^ 『インドネシアの事典』 (1991)、273-274頁
- ^ a b デュマルセ (1996)、86-88頁
- ^ a b c d 伊東 (1992)、87頁
- ^ デュマルセ (1996)、86頁
- ^ a b c 石井 (1992)、22-23頁
- ^ a b c d e 石井 (1992)、22頁
- ^ a b Schliesinger, Joachim (2016). Origin of Man in Southeast Asia 5: Part 2; Hindu Temples in the Malay Peninsula and Archipelago. Booksmango. p. 7. ISBN 9781633237308
- ^ Coedès, George (1975) [1964 (French ed.) 1968 (English ed.)]. Walter F. Vella. ed (PDF). The Indianized States of Southeast Asia. trans. Susan Brown Cowing. Australian National University Press. p. 89. ISBN 0-7081-0140-2 2020年3月19日閲覧。
- ^ “文殊師利”. コトバンク. 朝日新聞社. 2020年3月19日閲覧。
- ^ “Prājñā”. コトバンク. 朝日新聞社. 2020年3月19日閲覧。
- ^ “文殊菩薩”. コトバンク. 朝日新聞社. 2020年3月19日閲覧。
- ^ 小野 (2002)、273頁
- ^ Degroot (2009), p. 245
- ^ a b c d e f 小野 (2002)、271頁
- ^ a b Acri (2016), p. 207
- ^ a b 岩本裕「Sailendra 王朝と Candi Borobudur」『東南アジア -歴史と文化-』第1981巻第10号、東南アジア学会、1981年、17-38頁、2020年3月22日閲覧。
- ^ 伊藤奈保子「ジャワの Vairocana 仏像 - 小金銅仏を中心として」『佛教文化学会紀要』第1997巻第6号、佛教文化学会、1997年、99-129頁、2020年3月22日閲覧。
- ^ a b c Dumarçay (2007), p. 17
- ^ デュマルセ (1996)、116頁
- ^ 深見 「ジャワの初期王権」『岩波講座 東南アジア史 1』 (2001)、301頁
- ^ a b デュマルセ (1996)、11頁
- ^ 岩本裕「ボロブドールの仏教」(PDF)『東洋学術研究』第102号、東洋学術研究所、1982年5月10日、107-130頁、2020年3月19日閲覧。
- ^ 『インドネシアの事典』 (1991)、407頁
- ^ 伊藤奈保子「ジャワの Vairocana 仏像 - 小金銅仏を中心として」『佛教文化学会紀要』第1997巻第6号、佛教文化学会、1997年、99-129頁、2020年3月19日閲覧。
- ^ デュマルセ (1996)、94-95頁
- ^ デュマルセ (1996)、14・26・94-95頁
- ^ Degroot (2009), pp. 237 244
- ^ Degroot (2009), pp. 228 237
- ^ a b c 小野 (2002)、276頁
- ^ Degroot (2009), pp. 229 237
- ^ 井口 (2013)、248-251頁
- ^ 『インドネシアの事典』 (1991)、205頁
- ^ 井口 (2013)、234頁
- ^ Jordaan, Roy (2013-09) (PDF). The Lost Gatekeeper Statues of Candi Prambanan: A Glimpse of the VOC Beginnings of Javanese Archaeology. NSC Working Paper No. 14. Nalanda-Sriwijaya Centre. pp. 2-4
- ^ a b c Dumarçay (2007), p. 15
- ^ 信夫清三郎 『ラッフルズ伝 - イギリス近代的植民政策の形成と東洋社会』平凡社〈東洋文庫 123〉、1968年 (原著1943年)、244頁。
- ^ 坪井祐司 『ラッフルズ - 海の東南アジア世界と「近代」』山川出版社〈世界史リブレット 人 68〉、2019年、78頁。ISBN 978-4-634-35068-7。
- ^ 鳴海邦碩、小浦久子 『失われた風景を求めて - 災害の復興、そして景観』大阪大学出版会、2008年、10頁。ISBN 978-4-87259-239-9。
- ^ a b Dumarçay (2007), p. 16
- ^ Dumarçay (2007), pp. 16-17
- ^ Dumarçay (2007)
- ^ BPCB Jateng (2018年6月7日). “Ribuan Umat Buddha Rayakan Waisak di Candi Sewu” (インドネシア語). Balai Pelestarian Cagar Budaya Jawa Tengah, Direktorat Jenderal Kebudayaan. 2020年3月22日閲覧。
- ^ a b 小野 (2002)、275頁
- ^ 伊東照司 『インドネシア美術入門』雄山閣、1989年、22頁。ISBN 4-639-00926-7。
- ^ デュマルセ (1996)、92頁
- ^ a b c デュマルセ (1996)、88頁
- ^ a b 小野 (2002)、272頁
- ^ a b Degroot (2009), p. 240
- ^ a b c d e Degroot (2009), p. 238
- ^ a b c d Degroot (2009), p. 239
- ^ a b デュマルセ (1996)、87頁
- ^ 伊東 (1992)、87・90頁
- ^ 橋本哲夫「古代インド建築家たちのマンダラ - maṇḍalipākāra は「円い城壁」か?」『印度學佛敎學研究』第54巻第1号、日本印度学仏教学会、2005年12月、304-312頁、2020年3月19日閲覧。
セウ寺院(チャンディ・セウ、尼: Candi Sewu)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:28 UTC 版)
「プランバナン寺院群」の記事における「セウ寺院(チャンディ・セウ、尼: Candi Sewu)」の解説
仏教寺院。プランバナン寺院の北約1.5キロメートルに位置する。プランバナン寺院より古く、8世紀末、サンジャヤ王統の第2代王ラカイ・パナンカランの時代に創建されたといわれ、発見されたマンジュスリグラ碑文(英語版)(「mañjuśrīgṛha〈文殊師利祠堂〉」刻文)により792年に拡張が完成したとされる。中央の主要祠堂は240基もの小祠堂に取り囲まれ、その規模はインドネシアの仏教寺院としてボロブドゥール寺院に次いで大きい。
※この「セウ寺院(チャンディ・セウ、尼: Candi Sewu)」の解説は、「プランバナン寺院群」の解説の一部です。
「セウ寺院(チャンディ・セウ、尼: Candi Sewu)」を含む「プランバナン寺院群」の記事については、「プランバナン寺院群」の概要を参照ください。
- セウ寺院のページへのリンク