プランバナン北側とは? わかりやすく解説

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プランバナン北側

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:28 UTC 版)

プランバナン寺院群」の記事における「プランバナン北側」の解説

ルンブン寺院(チャンディ・ルンブン、尼: Candi Lumbung仏教寺院セウ寺院よりそれほど遠くない位置にある。主祠堂とそれを取り囲む16基の小祠堂(プルワラ祠堂からなるブブラ寺院(チャンディ・ブブラ、尼: Candi Bubrah仏教寺院プランバナン寺院ロロ・ジョングラン寺院)の北約1キロメートル位置する。ブブラ (Bubrah) はジャワ語で「壊れた」の意であり、かつての状態によるともされるが、2011年から2017年にかけて調査および修復なされたセウ寺院(チャンディ・セウ、尼: Candi Sewu仏教寺院プランバナン寺院の北約1.5キロメートル位置するプランバナン寺院より古く8世紀末、サンジャヤ王統第2代王ラカイ・パナンカランの時代創建されたといわれ、発見されたマンジュスリグラ碑文英語版)(「mañjuśrīgṛha文殊師利祠堂〉」刻文)により792年拡張完成したとされる中央の主要祠堂240基もの小祠堂に取り囲まれ、その規模インドネシア仏教寺院としてボロブドゥール寺院次いで大きい。 セウ寺院の東約300メートルには、仏教寺院ガナ寺院(チャンディ・ガナ、尼: Candi Gana〈チャンディ・アスゥ、尼: Candi Asu〉)の基部遺構残存するプラオサン寺院(チャンディ・プラオサン、尼: Candi Plaosan仏教寺院複合体セウ寺院の東約1.5キロメートル位置する9世紀中頃仏教シャイレーンドラ朝王女で、ヒンドゥー教古マタラム王国(サンジャヤ王統)に嫁いだ王妃のために王ラカイ・ピカタンにより建立された。北プラオサン寺院(チャンディ・プラオサン・ロル、尼: Candi Plaosan LorLorジャワ語で「北」の意 〉)と南プラオサン寺院(チャンディ・プラオサン・キドゥル、尼: Candi Plaosan Kidul〈Kidul はジャワ語で「南」の意 〉)の2つ主要寺院があり、小祠堂や紡錘形を持つ仏塔ストゥーパ)などが配列されている。 モランガン寺院インドネシア語版)(チャンディ・モランガン、尼: Candi Morangan) ヒンドゥー教寺院ジョグジャカルタより約24キロメートルの距離にある。9-10世紀のものとされるこの寺院遺跡は、現在深さ2.5メートルにあり、1884年発見され当初は、ムラピ山火山活動影響により半ば埋没していた。 ルンブン寺院主祠堂 修復されブブラ寺院 北プラオサン寺院 モランガン寺院遺構

※この「プランバナン北側」の解説は、「プランバナン寺院群」の解説の一部です。
「プランバナン北側」を含む「プランバナン寺院群」の記事については、「プランバナン寺院群」の概要を参照ください。

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