北プラオサンとは? わかりやすく解説

北プラオサン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 07:27 UTC 版)

プラオサン寺院」の記事における「北プラオサン」の解説

北プラオサン(プラオサン・ロル)は、東西90メートル南北200メートル周壁囲まれ南・北の2基の主祠堂がある内苑およびマンダパ(英語版)として知られる外苑領域からなる。2基の両主祠堂ともに、入口と門、それにドヴァーラパーラ守護神像がある。 北プラオサン寺院群には174基の小形構造物があり、3列に配置され116基の仏塔58基の小祠からなる。それらが配置され外苑により四方囲まれ2つ内苑のほぼ中央に、それぞれ僧院僧房ヴィハーラ、梵: Vihāra〉)とも称されるサリ寺院(チャンディ・サリ、尼: Candi Sari)に類似した主祠堂があり、南・北主祠堂とも大きさ構造がよく似る。2基の主祠堂は、3つの部屋分かれた上層階下層階により構成されている。外壁には菩薩天人たちの精緻な彫刻が並ぶ装飾見られる。それらの多くは男尊像であり、窓辺には小さくかつ少数の女尊像彫刻によりかたどられている。 南主祠堂中央部屋の脇侍像左:観世音菩薩像 右:金剛手菩薩下層階各部屋(内陣)にはそれぞれ三尊像が安置されていたが、今日各部屋には中尊像のない台座両側に、像高1.4メートルとなる2体の遊戯坐(ゆげざ)の菩薩(ボーディサッタ)像のみがある。中央の蓮華座ハスの形をした基台)に安置されていた如来像は今日失われているが、おそらく2体の石造菩薩像脇侍とする中尊は、青銅製の坐像であった。南主堂の中央の部屋には、入って左側観世音菩薩像右側金剛手菩薩像が配されている。この脇待の菩薩像種類および配置は、ムンドゥット寺院(チャンディ・ムンドゥット、尼: Candi Mendut)に見られる三尊像のものと一致することから、この内陣の失われた中尊釈迦牟尼仏であった考えられる同じく左右部屋菩薩像同定されるが、中尊不明である。また、主祠堂にも同様に菩薩像配置されていた。上層階にも仏像安置されていたとも考えられるが、窓が示す位置により、下層階三尊像と異なり中央の基台に1体彫像のみがあったものとされる各部屋の壁面の上部には、かつて木造により上層階木造の床支えるために造られ石材凹部の跡があり、木造階段基部となる石材痕跡見られるまた、内陣の壁の1面にある肖像には、王冠によりクメール王子の姿を描いた考えられる彫像刻まれている。

※この「北プラオサン」の解説は、「プラオサン寺院」の解説の一部です。
「北プラオサン」を含む「プラオサン寺院」の記事については、「プラオサン寺院」の概要を参照ください。

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